轟洋介は「ヤンキー」なのか(前編)

ハイローの最新作『6 from HiGH&LOW THE WORST(以下6ザワ)』に轟は登場しなかった。否、『HiGH&LOW THE WORST(以下ザワ)』での回想とともに辻と芝マンの口から「一人で海釣りに行った」と語られるのみであった。友人である辻と芝マンが、他の生徒と同じ釜の飯ならぬ同じ板のもんじゃを突いている時、轟は一人で大好きな趣味を満喫しているのだ。まさか芝マンに「知ってるか?」とドヤ顔で自分の趣味をバラされているとは思うまい。しかしこれが私には、轟への福音のように思えてならなかった。「鬼邪高のトップは、しばらく俺が預かるわ」と、自分こそがアタマだとは明言せず楓士雄の肩を担いだ轟のその後は、轟が私たちの知らないところで変わったりしていないことを示していると感じた。轟洋介は、ヤンキーの文脈に吸収されることなく海へと還っていったのだ。――果たして本当にそうだろうか。


轟洋介がヤンキーであるか否かを論じる前に、そもそも彼の周囲、ひいては「鬼邪高校」という集団がヤンキー(あるいは「ヤンキー的」)であるかを検討しなければならない。

 

 

 

 

コラボ以前(ザム3/FMまで)の鬼邪高校

鬼邪高に限らずWORSTコラボ前、厳密にはDTC(ザ湯)までの映像作品を私は「純正ハイロー」シリーズと呼んでいる(DTCはスピンオフでありコラボの匂わせもしているが、その世界観は『HiGH&LOW』のみで完結している)。まずはハイローが自コンテンツのみで完結していた頃までの鬼邪高校について、どのような集団であったかを振り返りたい。


「漆黒の凶悪高校」こと鬼邪高校はSWORD地区のOを担う集団だが、その実態は「全国のワル(轟に言わせれば「クズ」)が集まる」「札付きのワルが集まる」「全国の番長が集まった(※定時)」と、喧嘩を求めた不良たちが全国各地から集まってくる寄せ集めの軍団だった。実際に生徒の経歴として「国久高校」「綾鷲商業」「ブラサンダー」「クロユリ団」など高校やチーム名、「元番長」などの実績が挙げられており、その中でも鬼邪地区の近隣であることが察せられるのは関と戦って殴られる「国双工業 元番長(22歳)」ぐらいだ。もしかしたら「魚屋 元店長(23歳)」も山王辺りに住んでいるのかもしれない。


定時・全日の区分が判明する前の鬼邪高生は、鬼邪地区近隣育ちとは限らない。これは宮台が『ヤンキー文化論序説』の中で述べている「カラーギャング」や「チーマー」の定義に近く(“「シマ」はあるものの、必ずしもそこで育ったわけではないですし、(中略)昔の新宿でヤクザが棲み分けや抗争をしていたような意味ではエリアに根付いてはいても、あくまでストリート系であってヴァナキュラー(土着的)なものではない”(宮台,2009))、実際に鬼邪高校のビジュアルイメージは、同じく「青」を基調としたアメリカのカラーギャングクリップス」を参考にしている。宮台はさらにチーマー系の不良について、「同じ所を居場所にするにもかかわらず、来歴も問わなければ家族構成も知らず、本名ではなくニックネームで呼び合うことも多い。ふらっと来た子がいつの間にかいなくなっても問題視しない。「卒業」の儀式もない」と述べている。


鬼邪高は「五留で一流」、ザワの前日譚である『EPISODE.O(以下ザワオ)』では村山が「また3年になっちまったな」「でもさあ、全日には卒業があってさあ」と、少なくとも定時制では高校にあるべき「卒業」の儀式や機能が形骸化していることが窺える。最終的に村山は古屋・関と共に退学という形で鬼邪高からの実質的な「卒業」を果たすが、そこまでの歴史には「卒業」せずに鬼邪高から音もなく去っていった多数の生徒・不良がいたことは想像に難くない。


村山が他の生徒たちに見送られながら華々しく「卒業」を迎えられたのは、キャラ人気などのメタ的な視点を除いて考えれば、彼が「鬼邪高校初代番長」であったからに他ならない。鬼邪高には「荒行」という伝統があり、村山がそれを成し遂げるまで番長の座は不在であった。村山が番長になったことにより統率が取れ、「SWORDのO」としての鬼邪高校が確立した。ここにはひとつの矛盾が含まれている。荒行は鬼邪高の「伝統」だが、しかしそれを成し遂げたのは村山が最初という点だ。村山以前には現No.2の古屋があと二発のところで荒行を達成できず、といった実績があるが、それを本当に実現したのは村山が最初、そして最新作に至るまで村山のみである。荒行は「有形無実の伝統」であり、村山が始原であるにもかかわらずその奥に「起源」があるかのような虚構を浮かび上がらせている。このような構造を、斎藤は『世界が土曜の夜の夢なら―ヤンキーと精神分析(2012,p231-235)』で「ヤンキー的」なもののひとつであると論じている。また斎藤は『熱風―スタジオジブリの好奇心(2012年11月号,p36-37)』でも、ヤンキーの伝統っぽいものへの愛着と、伝統そのものへの興味のなさに見られる反知性主義、つまり「彼らの言う「伝統」とはせいぜい三代前の先輩ぐらいまでのもの」とも述べている。


番長村山良樹の誕生により、チーマー的要素の強かった鬼邪高校は「ヤンキー的なもの」へと一歩近付いた。しかし「全国からの寄せ集め」感の残る鬼邪高校が、真に「ヤンキー的」であると言うにはまだ遠い。


鬼邪高校が学び舎ではなくファイトクラブ的な場所であることを知らずに転入してきたチハルの一件により、鬼邪高とSWORDの「S」こと山王連合会との抗争が勃発する。WORSTコラボ以前は、純正ハイローシリーズの中核をなす山王こそが最も「ヤンキー」の定義に近い集団であった。ヤンキーの定義については宮台や斎藤、難波などが主にナンシー関のコラムを引用しながらまとめているが、大まかに言えば「地元・つながり志向」「社会的・文化的に下位(貧困)である」「(旧来的な男女観に基づく)家族主義」の三要素からなる。また佐々木はヤンキーの語に対する注釈を「10代~20代の若者たちが服装や趣味嗜好で対抗的な下位文化を形成する場合、このような呼称が使われる」としている(佐々木,2000)。難波や斎藤はヤンキー的な趣味嗜好として「悪趣味」「バッドテイスト」、成実も『ヤンキー文化論序説』の中で「スタイルをあえてダサく見せるセンス」などを挙げている。


コブラとヤマトは元MUGEN*1という経歴を持ちながら、ノボルも含めた彼らは山王で生まれ育った幼馴染である。ダンやテッツも実家は壇商店や山乃湯と、地域に根差した存在だ(緋野ガスと朝比奈モータースも言わずもがなだし、MUGEN創設メンバーの達也の職業選択が今は亡き父親の職業(洋食屋)を継承する点も非常に「ヤンキーらしい」)。ヤンキーに見られる「地元志向」とは、何も生まれ育った町とは限らない。「自分の帰属先」として他者との関係性を培ってきた場所、つながりという「物語」を育んできた場所も含まれる(難波,2009)。後々あらゆる設定が付与されるチハルも登場時は流れ者的であるが、数々の困難を共にする中で名実ともに山王連合会の「仲間」となる。この点に於いて、山王連合会の主要メンバーは出身地という「地元」、関係性という「つながり」の両方の条件を満たしている。そしてコブラとのタイマンで負けた村山が「コブラにあって自分にないもの」として物語から提示されたのが、「仲間」というつながりであった。チハルを探して山王にカチコミに来た村山は「おいおい、俺友情ごっこ見に来たんじゃねえんだよ」と言っていたが、逆に山王を率いてカチコミに来たコブラとのタイマンの中では「鬼邪高の看板背負ってんだよ」と、抗争を経て鬼邪高という集団のアタマとしての自覚の萌芽が見られる。


村山は「てっぺん」を目指して鬼邪高校に来た男だったが、それは「勉強にスポーツ、どれも人並み。(中略)喧嘩だけは誰にも負けたことがなかった」からであり、もし勉学や何らかの競技で優勝争いをできる才能があれば村山は喧嘩という暴力行為を働く「不良」にはならず、鬼邪高に来ることもなく生まれ育った本当の地元(あるいはてっぺんを目指すための留学など)で育つ青少年になっていたと考えられる。念のため触れておきたいのが、村山はいわゆる「落ちこぼれ(≒社会的・文化的に下位)」故に不良になったのではなく(勉強もスポーツもあくまで「人並み」)、てっぺんになるための手段として喧嘩というヤンキー文化に隣接、あるいは大きく重なり合うものを選んだに過ぎない。しかしその「てっぺんを獲る」という漠然としながらも現実的で俗っぽい発想はヤンキーにありがちだと斎藤は述べている(熱風,p34)。「てっぺん獲れば何かが変わる」と思っていた村山は晴れて鬼邪高の頂点に立つ(現実的な目標の達成)も、それと同時に「目標を見失って」しまう(漠然としたファンタジー性の霧消)。そこに現れたのが、転入早々全日を制圧し、村山と同じく「てっぺんを獲る」と息巻く現役高校生の轟洋介である。「さあやりましょ」と粋がり舐めた態度を取る轟を相手にせず覇気のない村山を、定時の生徒は「ぶっちゃけ今のはアタマ失格だろ……村山ァ!」と罵る。かといって「一番強ぇ奴がアタマって決まってんだろ」と、村山を落とすようなこともしない。ここで村山がダメ出しされているのは覇気のなさ、「気合」のなさである。ヤンキーは「気合い入ってるほど偉い(難波,2009)」ので、村山の「じゃあお前がやれよ」「関がアタマでいいよ」などという杜撰な態度、やる気のなさは言語道断、アタマ失格と言われて当然なのである。鬼邪高(定時)はいよいよヤンキーらしくなってきた。


ここで登場した轟洋介が不良(≒ヤンキー的な人間)を嫌悪していること、そして彼が村山の乗り越えるべき過去の自分としての存在(言うなれば「噛ませ」)であることは言うまでもない。轟は、そのファッション性も精神性もヤンキー的なスタイルに染まっていない人物(≒まだチーマー的であった村山たち)という点で「かつての鬼邪高校」的な人間であった。これについては後編で本題として掘り下げていく。


かつて自分と戦ったコブラとの対話によって悩みに薄日が差してきた村山のもとに、彼不在の定時を急襲した轟から「待ってるよ」と連絡が来る。村山は轟とのタイマンの中で轟の中にかつての自分を見出し、そしてコブラとのタイマンで自分に足りないものとして浮かび上がった答えを掴み取る。「同じ仲間と、同じ看板背負って、いくら血を流そうが、バカみてえに何度も、何度も這い上がった!」「……わかってるよコブラ。俺が見たかった景色は、一人で見るもんじゃねえ。仲間と見るもんだった」 村山の中で鬼邪高校への明確な帰属意識(=「ジモト志向」(難波,2009))が開花した瞬間である。山王連合会という純正ヤンキーとの接触、そして轟洋介という過去の自分との対峙を経た村山良樹率いる鬼邪高校は、着実に「ヤンキー的」な集団へと変化していく。


余談的ではあるが、かなり飛ばしてザム3(FM)の村山の有名な台詞に着目したい。「ネット使って相手の痛みを気にせず他人のこと殴る人間より、体張って痛みを知ってる俺たちの方がよっぽどいい大人になれる気がする」 これは映画の公開当時も物議を醸した*2ようだが、この台詞もとてもヤンキー的だと言える。斎藤は「ヤンキー先生」こと義家弘之などの例を挙げ、ヤンキーが好む「気合い」や「アゲ(≒ギャル語版の「気合い」)」から派生した「熱」「愛」「信頼」などのプリミティブな情緒を重視する発想は、しばしば極端な反知性主義に陥ることを指摘している。義家が「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」に名を連ね(当時)、インターネットを初めとするバーチャルコミュニティに批判的であった姿勢は、上記の村山の台詞にも通ずるものがある。もっともFM公開から数年経ち、インターネットが孕む問題点も多様に広がった今では、「相手の痛みを気にせず他人のこと殴る」が意味するのは「匿名を笠に着てネットリンチ(という悪事)を働く」ことへの批判とも受け取れる。この台詞を村山役の山田裕貴は当時パンフレットにて「僕がいつも感じてること」と述べ、昨年もある芸能人がネットでの誹謗中傷から自殺に追い込まれてしまった事件にいたくショックを受けたことを表明している*3

 

 

 

コラボ(THE WORST)以後の鬼邪高校とその周辺人物

ザワシリーズの時系列は「ザワオ→ザワ本編→6ザワ」だが、撮影順は「ザワ本編→ザワオ(前日譚)→6ザワ(後日譚)」である。コラボ先の『WORST』は言わずと知れた不良漫画の雄であり、「ヤンキー的」として人々を惹きつけるものの代表的なひとつである(難波,2009)(斎藤,2012)。


ザワの制作にあたっては、当然ながらWORSTの作者である高橋ヒロシも携わっている。ザワの主人公としてハイローの世界に降臨した花岡楓士雄は、WORSTの前身作『クローズ』の主人公「坊屋春道」から女好きを抜いたようなキャラクター造形であり、そうでなくとも「絶望団地出身の幼馴染のひとり」の設定だけで「地元志向」「階層的に下位」といったヤンキーの定義を満たしている。ザム以降鬼邪高校の中で影の薄かった全日制には、楓士雄以外にも新しいキャラが続々登場する。楓士雄が鬼邪高に帰還するまで燻っていた司や彼を慕うジャム男、一派を引き連れて大量転入してきた泰志と清史。一つ下の学年には「五中の中越」こと中越、そして翌年にはさらに下の学年の中岡が一年を率いて中越の下に付く。


鬼邪高の情勢をジャム男と司に解説してもらう楓士雄の元に、泰清コンビと轟不在の辻芝が戦いを挑みに押しかける。しかし楓士雄は「ここにいるメンバー、みんな同じ団地出身じゃねぇかよ!」「同窓会みたいになっちまったなぁ」とどこか嬉しそうにおどける。楓士雄と仲の良い司たちのみならず、泰清どころか純正ハイローキャラ且つ轟一派の辻と芝マンまでもが「絶望団地出身」という同じ「地元」の出自であることが判明する。これについて村山は、ザワオの全日ステークスの中で「轟ちゃん超ピンチじゃん!」と轟(あるいは自身が賭けた食券)の心配をする。中林が「俺だったらまず、団地で結束して轟を潰して、その後団地で誰が一番強いかを決めるね」と話すように、ここにもヤンキーの地元志向的発想が見られる。現に中林は村山の元を訪れた轟と擦れ違う際に「負けろ負けろ負けろ負けろ負けろ……」と小声で呪詛を吐いているので(他の定時生は「轟ちゃん!」「0.5倍!」「状態いいねえ」などと好意的な態度を見せる)、轟以外の誰かが勝つ、つまり団地出身のより「ヤンキー的」な全日生に賭けている可能性が高い(これはヤンキーの地元志向というよりも、中林本人のギャンブラー的な性格に因るとも考えられる)。中越と中岡の詳細は作中では描かれていないが、入学即一年を制圧した自分の座を先輩に明け渡しそれを渡される彼らの中にも「つながり」志向が見て取れる。ザワでも今度は中越が、自分の一派を旧知の仲である楓士雄に一瞬で預ける。その様子を見た村山は轟に「お前にないもの、あいつは持ってるかもな」と楓士雄の存在を「何らかのお手本」として提示する。

 

またザワでは食い扶持に困った村山が関に仕事を紹介してもらうが、斡旋された仕事とは関の父親が社長を務める建設業であった。建設会社関組については6ザワで少し掘り下げられるが、「婦人会」(=「旧来的な男女観に基づく性役割」)の存在や社長の「男気」など、語られるものはことごとく「ヤンキー的」である。ヤンキーは「高卒後、現業・肉体労働を中心としたマニュアル職に就業し、かつ親世代も同様のマニュアル職に従事しており、相対的に低学歴であることが多」く(佐々木,2000)、友人の家業の斡旋という点でも「ジモトに根差した」職業選択を行う村山は、初登場の頃から比べるとどんどんヤンキー的なものへと吸収されていく様子が窺える。「6」というタイトルのとおり、楓士雄を中心とした幼馴染6人組の物語である6ザワでは「地元」「貧困」設定の強化や、いかにもケーキを切れなさそうな基晃の登場に伴う「(犯罪行為を繰り返していた父親からの遺伝的、もしくは天涯孤独という生育環境に因る)知能の低さ(≒階層的に下)」の提示といった具合に、彼らのヤンキー的・不良(非行)少年的な側面がますます色濃くなる。


彼らは既に絶望団地から引っ越しているが、「つねに歩いて行ける距離に仲間がいるヤンキー(斎藤,2012)」の彼らの物語は鬼邪地区の周辺の域を出ない。ザワのパンフレットでは両親の意向でお嬢様学校に入学したと書かれているマドカも、6ザワでは両親の離婚と父親の所在不明が語られる。吹奏楽部でキャプテンを務める彼女のクラリネットも、純粋な学生の趣味*4ではなく「父親とのつながり」のイコンへと降格*5する。兎に角現在の幼馴染6人はもれなくシングルマザー家庭であることが確定し、祖父を亡くしてアパートに引っ越した花岡家は壊れた玄関の鍵の修理費の数千円をケチるほどの困窮ぶりを見せる(が母親は酒に飲んだくれている)。なおドアの鍵は母親の「気合い」で直る。牙斗羅の一員から足を洗った新太は工場勤務を経た後、自分の夢を追うべく洋食屋見習いとなるが、それも父親の職業の継承であり、トドメとばかりに就業先の洋食屋は偶然にも今は亡き父親が友と起こした店であった。尾々地兄弟は相変わらず関パパの元で肉体労働に勤しみ、マドカのいる真也同様、正也にはマホという、森田が『ヤンキー文化論序説』の中でさらりと触れたような「男の子を振り回す女の子」が(言い方は悪いが)宛てがわれる。「絶望(団地)の希望」と称され、「真っ直ぐなキュウリ」となることを望んでいた/望まれていた誠司は、交通事故で記憶を失うことにより「大学進学を機に地元を離れるという、ヤンキーとは真逆の行動」(難波,2009)を阻まれる。その上記憶を失う直前に書いた10年後の夢は「10年後もみんなの希望の星でいたい。そして6人でこのタイムカプセルを掘り返したい。」という「(帰属先としての)ジモトへの定住」であり、誠司は「地元志向」、加えてもし今後大学進学をしない(遅れる)のならば「階層的に下」のまま留まるというヤンキーの文脈に吸収、あるいは回帰していく。


ザワ以後の主に全日制に焦点を当てた鬼邪高校は、高橋ヒロシの子息ならぬ息がかかった花岡楓士雄という純正ヤンキー主人公を軸に「ジモト志向」ヤンキーの集団、ヤンキー的な存在への進化を加速させていった。しかし鬼邪高がヤンキー的な存在となったのは楓士雄をはじめとした高橋メイドの彼らがもたらしたからだけではない。当初村山及び定時の噛ませ役として登場した全日という現役の高校生たちには、村山本人がぽつりと漏らしたように「卒業」があるのだ。


かの宮崎駿は、𠮷田聡作『湘南暴走族』について「まだ世間に出る前のかこわれた学園生活での大騒ぎという部分を持って」いると述べ、これを受けて森田はヤンキー漫画が「数々の作品が主人公たちの卒業とともに最終回を迎えなければならなかったように」「不良であるような学生たちのモラトリアムを主題化している」と論じている(森田,09)。かつて全国のワルの吹き溜まりであった鬼邪高校は番長村山良樹の擁立から、山王との抗争やSWORD協定を経てひとつの立派な――社会的に「立派」であるかはさておき――共同体となった。実質「卒業」のなかった鬼邪高は、いずれ村山をはじめとする生徒たちを共同体から巣立たせる、つまり「卒業」させなければならない。ただのワルの一人から学校を統率する番長(≒ヤンキー)となった村山良樹は、いつかそのモラトリアムから卒業しなければならない。だからこそ村山は華々しい卒業を飾ることができた。人気などのメタ的な視点を除いても、ザワで村山が「卒業」(実際の学校制度的には退学)して6ザワで定職に就いていることが示唆されるのは、鬼邪高校からいずれ「卒業」する生徒たちの未来が、かつてのように人知れず物語から姿を消したりヤクザのスカウトを待ったりするだけではなく、手に職をつけて独り立ちするという至極真っ当な道もあるのだと示す福音なのだと私は考える。卒業後の進路が大学進学でないのは、村山が年齢的には「(平均年齢23歳の)定時のオトナ」であることや、先に挙げた佐々木の指摘どおりである。

 

 


よって鬼邪高校は、村山良樹という番長の誕生を機にヤンキー的なものに目覚め、花岡楓士雄をはじめとする「かこわれた学園生活での大騒ぎ」を許され「ジモト志向」的である人物をクローズアップすることにより、そのヤンキー性を高めていったと考えられる。

 

 


わざわざ「低学歴の世界」に下りてきた轟洋介

ここでようやく轟洋介の話に入る。轟についても、なるべく時系列を追って話を進めたい。


かつての轟は「おいガリ勉。お前んち金持ちなんだろ」と不良に強請られる側の存在であった*6。「ガリ勉」はこの後も初対面の定時生徒から「クソメガネ」「家に帰ってお勉強でもしてろ」、後にザワオでも同じく初対面の清史から「こんなんが全日のアタマか!」と揶揄されるように轟の外見に由来する表現であり、轟が本当に学業に励むタイプの学生であるかは不明である。しかし「金持ち」というのは何らかの裏付けがなければ出てこない単語だと私は考える。轟の以前の学校の制服は、兄弟コンテンツ(と言って差し支えないだろう)の「PRINCE OF LEGEND」シリーズに登場するセレブ学校の「聖ブリリアント学園」のものと酷似している。「いい学校に通っている」「家が地元でそこそこ有名」などの仮定や条件がなければ、外見的に目立ったところが特にない轟を前にして「金持ち」の語は出てこないだろう。火のない所に煙は立たぬ。回想で昔の轟は、不良どもへの鬱憤を晴らすかのようにPSPで格ゲーに勤しんでいるが、ハイローの世界でハード機を要するゲームを所有しているのは轟洋介のみである。ハイロー内に登場するゲームはトランプ、ジェンガ、オセロ、野球盤など、非常にアナログで古くからあるものばかりだ。成人済みの生徒がゴロゴロいる定時ですら、ザワオで全日ステークスという賭け事(ただし賭けるのは学食の食券)を始める前はジェンガに飽き飽きしている描写がある。一方打倒クズを掲げる轟は、ジムにあるようなトレーニング器を用いて体を鍛え始める(HiGH&LOW THE GAME(以下ザゲ)では「ジム」の記述があるが、過去の自分に発破をかけるシーンの演出ではあの場所が自宅の可能性もゼロではないように見える)。そのような器具の利用には、実物の購入にしろジムへの入会にしろ金銭の支払いが発生する。楓士雄の家庭が家の鍵の修繕費の数千円をケチる一方、轟の家庭は息子の趣味のために月額数千円以上のリソースを割ける。もしくは轟は、自分の趣味のための貯金を蓄えられるほどのお小遣いやお年玉を貰える側の人間である。少なくともハイローの世界では、轟洋介は「貧困」とは逆の立場に在る。


不良に恐喝される前の轟は「ヤンキー(的なもの)」でない上に、そういった存在と触れ合う機会も少なかったと考えられる。難波は新卒で入社した会社の同期や先輩について、大卒・院卒ばかりで良家の子女が多そうなこと、そして首都圏私立一貫校育ちの多い彼・彼女らはヤンキーと同じ空間・時間に存在することが少なかった所為なのか、ヤンキー(的なもの)の総体を最初から拒否すべき対象としがちであったと振り返っている。「かつて恐喝された経験から“不良”という存在を忌み嫌って」いる轟は、周囲にヤンキー的な人間がいなかった故に自分を恐喝してきた不良のみがヤンキーのサンプルとなり、「ヤンキー(的なもの)の総体」を憎むようになったのではないか。そうでなくとも、「脅せばビビる」ように見えただけで轟が不良に強請られたのは理不尽以外のなにものでもない。轟洋介がヤンキーや不良を憎むのは、当然の結果である。


不良から「一度頷いたのをきっかけに、次々と汚いことを要求され」てきた轟は、「なんでクズどもに命令されなきゃならないのか」と気付き、「自分を徹底的に鍛え圧倒的な強さを手に入れ」た。反対に「奴ら」を狩ることにした轟は、「いつしか形だけの不良どもを倒すのが快感になっ」てしまい、「偉そうにしているバカどもをぶっ飛ば」すためだけに鬼邪高校への転入を決める。鬼邪高にやってきた轟は、「社会的・文化的に下位(貧困)」でもなければ鬼邪高が定時と全日に分かれていることすら知らない「地元」の外からやってきた人間であり、その外見も散々揶揄されてきたようにヤンキーたちが志向するものとは真逆である。

 

舐められないための「ヤンキー的」ファッションと最初から舐められている轟

轟洋介を語る上で外せない要素のひとつが、本人が一番それで判断されることを厭う「外見」である。轟は初登場のSEASON2から最後に収録したザワオに至るまで、見た目だけで弱そうだと判断してくる人間を「ダセェ不良」だの「形だけのクズ」だの「クソ」だのとあらゆるバリエーションを用いて貶している。そして作中で轟の外見について言及してきた人間はもれなく轟より弱い。こうして轟洋介の「プライドとナルシシズム」は入りくんでいく。


先述のとおりザワ以前の鬼邪高のファッションは「クリップス」を参考にしており、「学ランに青いアイテムを合わせるのが基本形」である。しかし全日は純正ハイローキャラの轟一派含め、定時のように全日全体でなんとなく通底するテーマは見られない。その代わり、中・中一派ならヒップホップ、泰・清一派ならアロハシャツや甚兵衛、リーゼントといった和洋折衷の典型的なバッドテイストといったように、一派ごとの特色がある。トップが制服を着崩さないスタイルを貫いている轟一派にはこれと言ったスタイルやカラーはないが、辻と芝マンのファッションには各々のこだわりやニコイチ(お揃い)っぽさが見られ、特に辻のヘアスタイルはシリーズによって十人十色ならぬ一人十色の様相を見せる。


ここで斎藤も著書の中で取り上げている、とあるコピペを紹介したい。

833 おさかなくわえた名無しさん 2006/12/19(火) 20:54:27 id:DR98ha6R

俺はブルーカラー系の仕事をしてるのだが、やはりこの仕事は周囲のDQN率が高い。
先日、特にいかついSさんと一緒に仕事をする機会があった。
Sさんはいかつい感じの髭と首にぶっとい金ネックレスをしてるおっさんなのだが、
話してみると意外にも普通っぽい。
段々と打ち解けてきて「俺、Sさんってもっと怖い人だと思ってましたよ。首にぶっとい金ネックレスなんかしてるし。」
と言ったら、Sさんいわく
「ははw俺のところなんかは土方との付き合いも多いでしょ?だから、こういう恰好してると
土方のいかつい兄ちゃん達に舐められなくて便利なんだよ。ほら、
Oさんとか怖い人にも一目置かれないとダメだからね。」とのこと。

で、そのOさんとも一緒に仕事する機会があったのだが、
そのOさんも意外と普通ぽい感じだった。
(ちなみに、Oさんはいかつい髭にパンチパーマみたいな髪型をしてる)
それでOさんにも似たようなことを言ったら、Oさんいわく
「俺らの同業者っていかついの多いでしょ?やっぱ舐められちゃうと
仕事がやりづらいじゃない。だからSさんみたいな怖い人にも対等に話せるように無理してるんだよw」

ちょまっwひょっとして、みんなしてDQNのフリしてるってオチじゃねえだろうな?

DQNには舐められたくないブルーカラー

要するにこれを書いた「俺」は、一緒に仕事をしたブルーカラーの人々(現場労働・肉体労働者)の見た目から「いかつさ」や「怖さ」を感じていたが、内実は怖そうな人たちが互いに「舐められない」ようなファッションを志した結果、意図せずしてステレオタイプな土方やヤンキーの集団になってしまっている(「みんなしてDQNのフリしてる」)だけなのでは?と疑問視している*7。どうやらヤンキー(的である)か否かを判断するには「外見」「ファッション」は重要なポイントのようだ。確かに尾々地兄弟も「首にぶっとい金ネックレス」を付けた強面(コワモテ)の兄ちゃんだ。

 

上記のコピペとは対照的に、ツッパリ*8やスケバン(ツッパリの女性版)の時代にツッパリでもないのにつっぱった格好をしたばかりに恐喝された人間の証言もある。資料の古さ故に孫引きになってしまうのはご承知願いたい。

「駅のホームでスケバンのグループと目があった。ロンタイ(ロングのタイトスカート)をはいて、ちょっとつっぱった格好が気に食わなかったのか、トイレに連れ込まれた。“なんだいその格好は”“カッコつけやがって”などとイチャモンをつけられ、その度に顔をなぐられた。“メン(顔)を切られたいのかい”とカミソリをちらつかせたりした。“長いのが生意気だ”というわけで、スカートをカミソリでバッサリ。短くて切られてしまった」

NOW特派員クラブ編『ザ・青春大討論』立風書房,77年,p31-53(難波功士『ヤンキー進化論』p103-104)

合わせてスケバン側からの反論も紹介されている。

「真面目な娘は狙わないけど、格好つけつっぱっているのを見ると、カチンと来たわネ。ムカつくからカツアゲやリンチをやってやった」「テレビに出てたこの間にやつらも、やられるような格好してるから目つけられるんだ。もっとお嬢さんらしく、家でゴロゴロしてればいいんだ。あたいらの真似してるんじゃない、ってんだ。/ダサイくせして、つっぱってるやつなんか、ブチのめしてやりたいね。あんなの、さらってどこかでヤキくれてやろうか」

同上からの引用

先に挙げたスケバン側の意見について、それを取り上げたテレビの視聴者からは、糾弾とともにスケバンのファッション性だけを借りる被害者側の問題も指摘されている。

「一人前にツッパったカッコしてるから声かけられるのさ」「わたしはスケバンじゃないけど、町を歩いていたりしても「なんだ、あのツッパリ」と思うときあるョ。……カッコつけてツッパってるやつって最高にムカつくんだ! スケバンならスケバン、マジメならマジメ。きちんとすりゃいいんじゃない? どっちでもなくて、ただツッパってるのってイヤだなァ」

同上からの引用

服装は個人の表現に繋がる。趣味としてのファッションに限らず、リクルートスーツであれば社会人、制服であれば学生や特定の職に従事する人間、清楚系、ギャル系、量産型……と、自分がどのような存在であるか、あるいはどう見られたいかの表明である。自分は他者の目を気にせず好きな服を着ているだけだと言う人もいるだろうが、それでも「誰にも見られずに服を着る」のは不可能である。「自宅で着るだけだから誰にも見られていない」というのは、「他者の視線を避ける」という見方をすれば他者に見られる故にその服を着ない(代わりに別の服を着る)ことになる。ヤンキーのファッションは「グループへの帰属意識を表明し、「強そう」「怖そう」に見せるため、さらには「目立つ」こと、自分をアピールすることが目的である(『ヤンキー文化論序説』,p81)」と成実が述べるように、ヒップホップな中・中一派、泰清一派のリーゼントなどの服装に見られる特徴はまさに派閥(帰属意識)を表しており、派閥までは読み込めない人間にも自分たちが「ヤンキーである」ことを知らしめているのである。


改めて轟洋介の外見を振り返ってみよう。手の加えられていない黒髪、サングラスなどではない眼鏡、乱れのない制服、目立つ要素はまるでない。左耳のピアスは不良狩りを始めた後の姿でのみ確認できる。轟のファッションはヤンキーっぽいどころか何の主張もしておらず、しかしそれ故に見下され、最初に強請ってきた奴らに汚いことを要求される羽目になってしまった。繰り返しになるが、轟が不良に狙われたのは理不尽以外のなにものでもない。


そんな轟も不良狩りを決心した後にピアスを付ける。眼鏡はかけ続けているが、ここぞの時には外すのでおそらく伊達眼鏡である*9。初登場時に至っては全日生に煽られた際に外した眼鏡を思い切り放り投げる。視力の悪さ故に眼鏡をかける人間の所業ではない。轟の眼鏡も、舐められていた頃のイメージを損なわないための「ガリ勉(=非ヤンキー)」的な自己表現とも考えられるが、それはヤンキーが身に着けるような己の強さや威圧感を誇示するためのアイテムではない。かろうじて不良感を出しているピアスですら、轟を演じる前田公輝に理由付けをさせても「昔好きだったゲームの影響」という、ある意味「オタク的」な引用でしかないのだ。


鬼邪高について振り返る中で何度か「気合」について触れたが、斎藤もヤンキー美学の中心には「気合」があり、それをヤンキーのファッションや趣味といった「表層」的なものに照準する時、ギャルの美学の「アゲ」に近似すると述べている(2012)。ギャル的な文化における美学の中心にある価値観を、「ツヨメでチャラくてオラオラで」と表現した人物がいる*10。ツヨメは「人目を引くファッション」という目立つこと、チャラいは性的に奔放で異性関係に巧みであることと一見良からぬ評価に聞こえるが、将来は落ち着いた大人になれるというプラスの認識になるようだ(ヤンキーの早婚傾向との関連も指摘できよう)。オラオラは道徳的な逸脱、威圧的な態度や言動を差す。この中で轟に当てはまるのはかろうじて威圧的な態度の「オラオラ」ぐらいで、それもファッションという表層には現れない故に、黙って座ってあまつさえ本を読んでいれば清史に「こんなん」と舐められてしまう程度のものだ。

 

本来ならば眼鏡も要らないし、ピアスだって過去の自分からの変化の象徴などではない。「カッコつけ」ないから眼鏡クイもしない*11し、気合いを入れるアイテムなんてひとつも身につけない。ヤンキーのファッションが「武装」なら、登場時からほぼ変わらない轟のファッション性は、どこまでもヤンキーの逆を突き進む。それ故にヤンキーだらけの鬼邪高、さらにはハイローの世界の中で、彼の姿は一際目立つ*12

 

「形だけのクズ」とは

轟は嫌忌と侮蔑の意を込めて「形だけのクズ(形だけの不良)」という言い回しをする。彼の言う「形だけのクズ」とはなんだろうか。


私は二つの仮説を立てた。一つは「生まれながらの不良(≒ヤンキー)じゃない自分にすら勝てない」という意味、もう一つは「人を見た目で判断する外見(≒形)重視」という意味である。


まず「生まれながらの不良(≒ヤンキー)じゃない自分にすら勝てない」について。轟の育ちは「ヤンキー的」ではないことが推測され、しかし轟は彼らとの良くないかたちでの接触(恐喝)を経て「奴らを狩る」こと(被害者から加害者への転身)を決意する。その結果不良狩りに楽しさ・気持ちよさを見出してしまう。不良狩りもはじめのうちは返り討ちに遭ったかもしれないが、村山への敗北以後の視野狭窄っぷりを見るに、鬼邪高転入前の轟はほぼ無敗であったことが窺える。「自分を徹底的に鍛え圧倒的な強さを手に入れた」轟の前に現れるヤンキーは悉く轟より弱い。轟の目には「ワルぶってるだけのダセェ不良」として映った辻と芝マンも、等しくそうであった。


次に「人を見た目で判断する外見(≒形)重視」について。そもそも轟は「ガリ勉」、後に「クソメガネ」などと言われるように不良からすれば弱そうな、優等生風のルックスをしている。彼は体を鍛え上げてなおそのイメージを(あえてか否かはさておき)崩さない。そして「人を外見で判断して見下す。クソが」と吐き、何の自己主張もしていない(=ファッションという表層からは「気合」が感じられない)自分を舐めてかかった相手をぶっ飛ばす。上でも述べたが、作中で轟の外見について言及してきた人間はもれなく轟より弱い。


しかし二つ目の仮説については矛盾が発生する。「お前形だけの不良がどうこう言ってたらしいな」と言った村山に対し、轟は「ええ。例えば、あんたみたいな」と返す。村山は轟のことを面と向かって「ガキ」と言いはしたものの、彼の外見に関しては一切言及していない。それに轟が村山に比べて「ガキ」なのは、年齢という事実に基づいている。一つ目の仮説については、勝つ気で挑んだに違いない轟のことを考えれば、タイマンする前の村山にも無理矢理当てはめることが可能である。


ここで浮かび上がるのが、実は轟本人も外見や「ヤンキー」という肩書き重視の人間である点だ。轟は村山のことを、鬼邪高という不良の巣窟のアタマというだけで対峙する前から「村山だかなんだか知らねえが、形だけのクズは許さねえ」と唾棄している。最初に振り返ったように、この頃の村山が真に「ヤンキー的」な人物であるかは否であり、ヤンキーとしては発展途上にいるのだが、そんなのヤンキー嫌いの轟には知ったこっちゃないのだ。「全国のクズが集まる鬼邪高」にいる人間は轟にとって遍くヤンキーであり、自分に酷い仕打ちをした「奴ら」の総体を狩ることに疑いの入る余地はない。


不良を狩らんと村山にタイマンを挑む轟洋介は、周知のとおり敗北を喫する。村山からは「てめえが強えのは認めてやるよ。でもな、拳が強えだけじゃダメなんだよ」と「承認(肯定)」と「落第(否定)」の両方を与えられるも、轟の目の前に立ち塞がるのは村山への敗北という揺るぎない「事実」であった。

 

 

後編では他のキャラとの比較とともに、轟洋介の精神性について探っていきたい。参考文献についても後編にてまとめて記載する。(後編へ続く)

 

 

 

 


閑話:イベントでの服装に困った轟のオタクの話

初めてハイローのライブ型イベントに参加したのは2019年12月26日の横アリであったが、この時私は非常に困っていた。何を着て行けばいいのか分からない。

私はテニプリ産まれテニミュ育ちの生粋のテニモンである。テニミュのオタクは、特にライブ形式の興行で好きなキャラや学校に因んだ配色の服装をする。千石清純のオタクなら山吹中のユニフォームの緑を基調に、プラスアルファで山吹色や千石の髪の色であるオレンジを取り入れたりする。4年前の私は気が狂っていたのでDL2017のためにランバンオンブルーの4万の緑色のワンピースを買い、SUQQUの「重山吹」なる廃盤のチークを運良く入手し、その後も興行の度に何らかのアイテム(2万超のワンピース含む)を買い足していった。

ところが私がハイローで一押しの轟洋介は、ファッションに落とし込めるような特徴を有していない。眼鏡には彼の魂が宿っていないので却下、シンプルなピアスも特定できない以上着用のしようがない(し私はピアスホールも開いていない)。別作品のキャラが作中で着用しているアイテム*13を所持するタイプのオタクの私が欲しいのは、轟の眼鏡ではなくピアスであった。前田さんの理由付けに於いて轟がそうしたように、私も思い入れのあるキャラの真似をしたい。鬼邪高校のイメージカラーは青だが、轟にはその意匠が見られない。黒と白なのもただ鬼邪高の制服がそうであったからで、制作側が轟のファッションに深い意味や帰属に起因する何らかを持たせていない以上、悲しい哉こちらも引用するものがないのだ。

結果私は至って普通の服装で横アリへ向かい、轟のそれに限らず他のファンやオタクもほぼ同様であったことに驚きの声を上げたのであった。

 

 

 

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ちょうど2年前にハイローハマり立てほやほやの私が書いた轟洋介の話

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ザワの貧困の話

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*1:MUGENや雨宮兄弟もバイカー文化などヤンキー文化の前身のひとつ出身だがここでは割愛する

*2:HiGH&LOW THE MOVIE3の村山良樹のセリフが激しい賛否を呼ぶ - Togetter

*3:コロナ禍の自粛のはじまりに伴って流行った芸能人のインスタライブでも、山田さんは古屋役の鈴木さんとのインスタライブでこの事件に酷く心を痛めている旨の発言をしていた

*4:私の中学の吹奏楽部は自分の楽器を所持していなくても在学中のみ貸してくれたが、メンテナンス費は自腹であった。メンテナンスと言っても器材を磨くクロスやガーゼなどの微々たるものである。だいたいの学校がそうではないだろうか

*5:私はマドカにまでシングルマザー設定を付与したことに難色を示しているが、それは今回の話とは関係ないため割愛

*6:キネマ旬報NEXT Vol.28では「育ちのよいひ弱な優等生」の記述がある

*7:斎藤の論点はここからもう一段階発展するが轟の話からは逸れるため、気になる人は『世界が土曜の夜の夢なら』を読んでほしい

*8:ツッパリについて難波は『コスプレする社会―サブカルチャーの身体文化』へ寄稿した文章の中で、「通常互換的に使用されることも多いツッパリとヤンキーであるが、私は、ヤンキーが70年代の不良の遊び着・街着など「反学校ないし非学校文化」に起源した呼称であるのに対し、ツッパリは同じ頃、変形学生服を着た生徒たちの「反学校的生徒文化」から生じた言葉だと考えている。このように本来は出発点を微妙に異にする語彙だったものが、80年代には「関東ツッパリ/関西ヤンキー」といった具合に、不良・非行の別称としてほぼ同義的に扱われるようになり、90年代以降はツッパリの死後化が進んだため、ヤンキーの語のみが現在残されているのである」(p229)と論じている

*9:前田さんも「アクションのときにかけてると危ないから外してた」「轟は伊達眼鏡なので、ケンカの時は外したほうが見えやすいという理由付け」を行なっている(別冊プラスアクトVol.34)

*10:申し訳ないが孫引きである。『世界が土曜の夜の夢なら』p40

*11:ザワオ2話で一度だけ眼鏡を指で押し上げるが、前田さんはあの演技の棄却を試みているも採用されず眼鏡クイせざるを得なかった

*12:なお前田さんもその点には思い至っている(キネマ旬報NEXTより)

*13:戦極凌馬の指輪。プレバンなどの公式商品ではなく一般流通商品。あとは3rd千石使用ラケットもそうと言えばそうか