何のための「テニミュボーイズ 」制度なのか/ 新テニミュ2ndを終えての感想(後編)

前編

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自分の初日後に帰宅して即この記事を書いたが、複数回観て大千秋楽も迎えた今、本当の「テニミュボーイズ」の話もしたい。

 

 

 

 

タイムラインに流れるフォロワーの感想を薄目で見ながら、新テニミュで初めて登場した「テニミュボーイズ」の活躍パターンのひとつを知った。わざわざ特定のキャストを起用するほどではないが、漫画のコマの中にいるキャラクターの代替。

ラケットが君の武器ならば/新テニミュ、あるいは私の3rdシーズンを終えて - つぶやくにはながいこと

 

コート上でも観覧席でも学校を問わずキャラクターが入れ替わり立ち替わりする新テニを舞台化するにあたって導入されたと考えられる「テニミュボーイズ」制度は、1stステージではとても上手く機能していたように思う。同士討ちの時にネームドキャラと相対するキャラは必要だし、赤也を白石に託す柳もたとえほぼシルエットでの登場になろうが重要である。物語の最序盤でしか出番は無いがインパクトの強い坂田を出すならここでテニボに演じてもらうしかない。なるほどこのためのテニボかと納得した。4th初演でも、リョーマとの試合こそあれどミュキャスを採用するほどではない佐々部や、自身の試合という見せ場を持たない荒井たち青学の非レギュラー陣(しかし彼らは専用曲を与えられていたしあれはテニボの彼らのモチベーションアップに繋がったのではないか。加えて池田のテニボは専任だった)、不動峰の卑劣な先輩たちをテニボに演じさせていた。

 

今公演、2ndステージでのテニボはほぼ特定のキャラの専任であった。テニボ幸村、テニボ千石、テニボ銀、テニボ樺地。U-17ジャージを着て平等院の取り巻きを演じることもあったが、比重が置かれているのは明らかに「特定のキャストを起用するほどではないが物語上必要なネームドキャラ」の方だった。常にベンチに存在させて、亜久津の気持ちはアイラブテニスのような重要なシーンも任せるならいっそのこと千石にも正式な「テニミュキャスト」を起用すればよかったのでは?と最初は思った。しかし新テニの物語に登場する千石は、過去に千石清純として何度も試合を重ね、亜久津の試合を伴爺の分も繰り返し見届けてきた人間でなければ演じきれない。序章(無印)の千石はただの中学生テニスプレイヤーの千石清純だが、新テニの千石は「メンタル面が強化された」という名目で物語に登場させ難い伴爺の役割、有り体に言えば亜久津の解説(介護)も担っている。そしてこれまでのテニミュの千石は配役の都合上、伴爺の役割を背負わされてきている。となると現実的に呼べるのは最新キャストの3rdもりたになるが、らいま金ちゃんや1stステージでのまえりゅ赤也のほどの出番を与えられないのに過去キャスを招くのも憚られよう。それにもりたのキヨスミは身長に上方修正が入りすぎ*1というビジュアル上の致命的な欠点を抱えている。相葉か? ちなみにガシマよりデカいので、もしもりたのキヨスミが舞台上にいたとして彼を越知先輩に近付かせるとテニモンの脳がバグる。

話を戻して、亜久津と千石の回想シーンは原作では2話に跨がっており、千石の「缶コーヒー飲むかい」で回想の前編が終わる。次話の冒頭で亜久津が「テニスは二度とやらねーと言っただろ」と口にする場所は、前話ラストの自販機の近くではない。亜久津の台詞の唐突さからも読み取れるとおり、話を跨いでいる間、紙面に描かれていない間に亜久津と千石は何らかの会話をしている。つまりこのシーンを舞台化するにあたって、テニミュはその空白を上手に処理しなければならない。しかし漫画に描かれていない本編をどう書けと、どう演じろと言うのか。私は常々テニミュの醍醐味のひとつは原作に描かれていない「コマの外」と述べているが、それは主にベンチワークなどの「あったかもしれない可能性のひとつ」を、前編で述べたように原作の延長線と読者の思い描くものの交差点を探す作業の上に成り立つものである。回想シーンの亜久津と千石の会話は「絶対存在するのに原作上に描かれていない」ものである。その答えは原作者の許斐先生しか知らない。再び固い緑の地面を踏みしめることになった亜久津の心境はふんだんに描かれているが、ずっとテニスを続けてきたがコートに上がらない千石がどんな気持ちで亜久津を諭したのかはどこにも載っていない。だからテニミュが存在しないシーンを描くこともできない。「テニミュキャスト」として正式に千石役を用意してあのシーンを演じさせれば、それがテニミュの示した「答え」になりかねない。だから2ndステージの千石清純は、テニミュボーイズという変数に代入するしかなかった。


──と昨日書いたのを今日読み返したが、回想シーンは亜久津と千石がそれっぽい口パクで言葉を交わすフリをするなどもっとやりようがあっただろと、役者ではなく演出の方に怒りが湧いてきた。舞台上での場所が離れていようが、「久々に語らっている」雰囲気を出すなんて時間にしたら10秒も要らない。重要なシーンだからこそテニボだろうが千石を出したのに、どうして何の工夫もない杜撰な処理をしたのか。もしくはその数秒ですら「原作上に描かれていないものを披露してはいけない」と判断したのか。

 

 


千石以上に注目されていたテニボは幸村の彼だろう。今公演のおすすめポイントを訊ねた時に鬼金戦の幸村くんを是非、と教えてくれたフォロワーもいた。原作を読み返してから東京公演に臨み、ガシマに誘惑されつつテニボ幸村も注視してみた。ちなみに私は幸村に対して一家言ある方のオタクだ。

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すべての公演を終えて再び原作を確認したが、私の結論は「テニボ幸村も解釈違い」だった。もしかしたら公演中にテニボ幸村の演技プランが変わった可能性もあるし、これについても一概に役者の所為とは言えない。私が観たテニボ幸村は、天衣無縫の極みに到達してテニスを謳歌する金ちゃんを観てやおら俯いた。自分の右手をゆっくりと握りしめ、何かを悔いているようにも見えた。そんな幸村に気付いた仁王は鬼金天衣無縫ソングではしゃぐのを止め、ベンチの上から幸村の肩を叩いて彼を気遣う素振りを見せる。むしろ私はそれが出来る蔵田仁王を見直した。彼の仁王は演技力や歌唱力の不足を感じたが、幸村の不穏な気配を察知できる仁王を演じただけで演技構成点5万点加点した。ここで見られた役同士の相乗効果は素直に見事だと感心した。

さてそのテニボ幸村だが、原作ではとある台詞があるのに他のキャラに奪われている。鬼金天衣無縫ソングのラストで君島が口にする「いずれにしても… あの彼(ボウヤ)いい顔してるね…」は本来幸村の台詞であり、金太郎を「ボウヤ」と呼ぶ幸村の表情は毅然としている。無論幸村くんだって、一度自分の手で叩きのめした選手が自身には到達できないだろう天衣無縫の極みを会得したことに対して何も感じ入ることがないなんてことはないだろうが、テニスが二度と出来なくなるかもしれない絶望の崖からの景色を知る幸村精市はあんな分かりやすく落ち込むようなタマじゃない。「いい顔してるね…」の台詞が重要であったばっかりに、テニボに代入された幸村精市は脚本と歌詞に重要なポイントを奪われ、舞台上でのキャラ付けに迷走することとなった。原作同様幸村がこの台詞を口にしていたら、また違うものが観られたかもしれない。

幸村の台詞を代替することになったのが君島という人選には納得している。「いい顔(表情)してるね」の言葉を際立たせるなら、芸能人でもあり人一倍人前に出て「いい顔」をすることの多いキミ様が適任だろう。


テニボ銀は配信で初めて見たが吹っ飛ばされるのが下手だった。あの出番の少なさで「キャスト」を起用し頭を丸めさせるのは流石に酷なので今回の銀さんはテニボ且つカツラだが、自分の毛髪を失ってまでジャッカルや銀を演じてくれた歴代「ミュキャス」しか知らないテニモンは坊主のカツラに慣れていない。テニボ本人の棒読みっぷり(威圧感や重みのある太い声を出そうとしていたのではと好意的に推測しているが)と相俟って、なんだか残念な出来だったのは否めない。同じくテニボ千石も台詞回しが不安定だし見ていてなんか違和感が拭えないんだよなあ……と思っていたが、顔がちょいブサじゃない(※私は原作厨の立場から千石の顔面は決して整っていない説を推している)こと以上にジャージのサイズがぶかぶかで丈も袖も余っていた。何故そんなことが起こるのだろうか。

 

 

 

テニミュボーイズの存在意義が「わざわざ特定のキャストを起用するほどではないが、漫画のコマの中にいるキャラクターの代替」ならば、2ndステージを振り返ると必要だったのは主に赤也の台詞を担当する後輩キャラだ。今回丸井に対する賛辞をあまり見かけないが、その一因は「赤也の台詞を代替したことによる丸井ブン太のキャラクター性の弱体化」だと考えている。赤也が弱いのではなく、真田と同学年の丸井が後輩の赤也の台詞を言わされることによって丸井のキャラクター性に齟齬が発生した結果、2ndステージの彼のへなちょこっぷりに拍車がかかってしまった。種ヶ島に苛立つ真田を諌める(が諌められていない)のも、「で 出たぁーっ!! 真田(副部長)の『俺を殴れ(ぃ)』!!」の台詞も赤也の他の台詞も、今公演では丸井が担当している。同じ学校且つ仁王よりかは赤也に近い性格だからという安直な理由からだろう。とは言え丸井はそこまで真田に茶々を入れるようなキャラクターだったか。同様に、自分を庇った結果合宿からの退去を命じられる樺地に感謝の意を示すどころか「失せろ」と命じる跡部に「アンタ(キミ)の為に樺地(クン)は!!」と甘えたことを言うのも本来は桃城という後輩キャラであり、跡部と同学年且つ一時はチームメイトとして神童亜久津のテニスを見てきた千石がそんな台詞を吐く筈がない。これはベンチにいるキャラの並びを考慮した結果、「テニミュキャスト」ではない千石が貧乏くじを引かせられたのだろう。この台詞も上記の赤也と合わせて「テニボが演じる誰か」に言わせるべきだった。このままでは「テニミュボーイズ」はテニスの王子様に登場するあらゆるキャラクターの像を守るために存在するのではなく、テニミュにとって都合のいいただのマネキンに転落しかねない。


他にも個人的に心底許せないのが、たとえ一瞬だろうがテニボに不二を演じさせなかったことだ。全国大会で仁王は手塚にイリュージョンするも零式サーブを打たず、そこを対戦相手の不二に「あえて打たなかった …いや 打てなかったんだ」と看破される。仁王のイリュージョンは外見も変わるというトンチキ具合に反し、実際のところは彼の努力の上に成り立つものであり、それを裏付けるのが跡部とのダブルスでの仁王本人なのだ。ソロ曲にもあるとおり、彼の心象風景の手塚が困難を克服したように、仁王も弱点を克服している。零式サーブを打てなかった仁王が今高校生を相手に零式サーブを打ち、そこに気付いたかつての対戦相手である不二周助その人が「すでに……仁王は零式サーブを打てるようになってるんだ」と思うからこそ「限りなく本物へ」*2近付こうとした仁王の努力の跡が際立つ。零式サーブを会得するまでの仁王の悔しさは、不二の心情台詞によって昇華されるというのに。

 

 

 

先日テニミュ公式ツイッターがテニボの彼らを代替した役名とその時の写真ともに紹介したが、テニミュキャスト」になれない「テニミュボーイズ」が一体何のために存在しているのか余計に分からなくなってしまった。特定のキャラクターを担わされ、専用ラケットも握ってはいるがミュキャスとして正式に起用された訳ではない彼ら。物販で自分の何かがグッズ化されることもない。とても宙ぶらりんな存在だ。私はテニボのいずれの実力も「テニミュキャスト」として採用された彼らには及ばないと感じているが、それが彼ら自身だけの問題だとは思っていない。こんな中途半端な存在に位置付けられた彼らが、ミュキャスに求められるレベルの役柄への理解力・表現力を発揮あるいはここで得ようと思えるのだろうか。勿論配役の如何に関わらず自分に与えられた役を完璧にこなすことを目指してこその「役者」だが、新人やキャリアの浅い人間も多く、本業が俳優ではないキャストも混ざるテニミュの現場で自然とそのように志向できる演者がどれだけいるのだろうか。「キャスト」ではない「ボーイズ」という変数でしかないなら尚更だ。「自分は所詮テニボだし」と思っているかもしれないし、現に私は一観客として「所詮彼らはテニボだ(から実力不足も多めに見るしかない)し」と諦めているし、テニミュに対しても「テニボだから演出含めた諸々の粗も大目に見ている」と憤っている。今後もテニミュは、ボーイズという変数を用いて色んなキャラの姿を舞台上に投影するのだろう。そこへ投影されたキャラクターたちもそれを演じるテニミュボーイズも、双方が中身のない空虚なマネキンへと転落しないことを祈っている。

*1:+10cmだったのが更に伸びたので少なくとも+11cmはある

*2:原作で仁王が零式サーブを披露した回のサブタイトル