つぶやくにはながいこと

オタクとしての余命2年(目標)

ふたりのためのコーダ / DREAM LIVE 2018

オタクこれまでの歩み

 

山吹公演

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だいぶ飛んでDL2017

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どこから話せばいいんだろう。何をどう書けばいいんだろう。とりあえず比嘉公演の話からしようかな。もりたのキヨスミの話しかしないよ。

 

 

 

 

 

ネットの記事に載っていた3rd比嘉の舞台写真を見た時に、それはもうショックを受けた。平古場が握ってるラケット。見間違いじゃなければPROBEAM V-QB 2.8、3rdシーズンではもりたのキヨスミがずっと握ってきたラケットだった。いやでもガットに赤いステンシル無いしもしかしたらテニミュが数本持ってるのかもしれないなんて思ったけれど、そんな希望は公演パンフレットを開いた瞬間あっさり打ち砕かれた。平古場が握るそれにはステンシルがあった。もちろんPROBEAMがもりたのキヨスミだけじゃなくて、6代目桃城や2nd平古場が握ってきたラケットだってこともとっくに調べてる。だからこそ経年劣化でガットを張り替えた可能性にも思い至った。

実際にこの目で公演を観て、試合をする平古場が握るラケットを防振双眼鏡で確認して少し泣いた。フレームの四隅の青が視界を過(よ)ぎる度に虎砲を打つキヨスミ先輩の姿が重なり、地面を滑るラケットを見ては桃城のダンクスマッシュに弾き飛ばされるラケットを思い出す。私は一体何を見ているのか。真っ暗な舞台の中に不二が打った蜉蝣包みが浮かんでいて、そこで初めて自分の意識が飛んでいたことに気付いた。試合の記憶がまるで無いからこそ、負けた後の平古場が微塵の悔いも感じさせない青空のような清々しい顔で青学ベンチを見ていたのが忘れられない。

 

最初の頃こそ違ったようだけど、テニミュは基本的に1キャラ1ラケット、同じシーズン内で使い回されるラケットは現在ほんの一握りしかない。原作で同じラケットを使用している裕太とジローも、わざわざ別々のラケットが充てがわれる*1ぐらいだ。

でもそのほんの一握りの中に四隅の青いPROBEAMは含まれていた。なんでよりによってもりたのキヨスミが握ってきたラケットなんだろう。だってもりたくんは舞台上で握ってきたラケットと同じものを自分で入手して大事に手元に置くような子なんだよ? 関東氷帝公演が終わった翌日に上げた自室の画像で壁にかかってるのはステンシルの無いPROBEAMだった。もりたのキヨスミのラケットにはステンシルがあるからこれは私物なんだってすぐに気付いた。中には原作と同じラケットを所持するキャストもいるし、もりたくんも最初はwenew900tiを探したのかもしれない(後にそっちも手に入れたみたいだけど)。でも原作の何処にも載ってない、あくまでも自分がテニミュで握ってきた「だけ」のラケットをわざわざ調べて自分の手元に置くようなミュキャスが今までいた? いないよね? 演じたことによってそこまで千石さんを好きになってくれて、千石さんのことをそれほどまでに大事にしてくれた子のラケットが、なんで。

案外もりたくん本人はラケットのことなんて何とも思ってないかもしれない。でも正直もりたくんがどう思ってるかなんてのはどうでもよかった。ただただキヨスミ先輩を追いかけ続けた、他の誰でもない私が一番辛かった。

 

 * * *

 

キヨスミ先輩や3rd山吹を観られるのはこれが最後だと思った関東氷帝公演の千秋楽。家に帰って中古ラケット販売店のページにアクセスした私が買ったのは、wenew900tiではなくPROBEAM V-QB 2.8だった。実はこの時オークションでwenew900ti、それも原作の千石さんが握っているのと同じ赤が売られているのを私はこの目で確認した。だけど買わなかった。千石清純に最も近い存在のひとりであるもりたくんですら持っていない物をその辺に転がってるオタクでしかない私が所持するなんて烏滸がましいし、私に千石清純のことを思い出させてくれた本人が所持してないのに私が持ったところで何の意味もないと思った。だからといって原作の何処にも載っていないPROBEAMを買う私もそれはそれでどんな感性してるんだと思われそうだけど。最後の思い出に私が選んだのは、赤いラケットじゃなくて青いラケットだった。それぐらいもりたのキヨスミが大好きだった。

 

 * * *

 

DL2018に初期校から一人ずつ飛び入り(と言って差し支えないだろう)参加するのを知った時、私は推しの舞台を観に行くために美容院でカットとカラーとパーマというズボラ故の全部盛り施術をしてもらっている最中だった。カーラー巻き巻き照る照る坊主の姿でそれはもう喜んだ。また名前入りのキンブレが振れる。校章入りのペンライトが振れる。1年前にドリライのためだけに買った緑色のワンピース(まあまあ高い)がもう一度着られる。キヨスミ先輩のための日々が始まる! それまでずっと担当美容師と話していたのにスマホを持ってツイッターを開いた後はすっかり黙りこくってしまい、嬉しさのあまり緩む唇を何度も噛み締めては必死にごまかした。知らない人、それはテニミュ3rdの千石清純を知らないファンのことでもあり、千石さんが知らない立海や比嘉といった3rdのキャラクターのことでもあり。兎に角知らない人ばかりで不安もあるだろうけど、私が大声でいっぱいコールするからね。緑も目一杯振るからね。だから心配しないでテニミュの世界に戻ってきてね。私が精一杯先輩のこと応援するからね。待っててね。待ってるよ。もう一度キヨスミ先輩がテニミュの舞台に上がると知った自分の心の底から湧き上がってきたのが、純粋な喜びだったことに安堵した。

――のも束の間、私はラケットのことを思い出してしまった。

 

テニミュブログに掲載された今回のゲスト4人が稽古に参加した日の画像で、もりたくんが握っていたのは私の知らないラケットだった。かわかみくんが握っていたのが彼の亜久津がずっと使ってきたラケット*2だったので、もしもりたのキヨスミが今まで握ってきたラケットが誰にも使われていない、あるいはスペアがあれば亜久津と同じように前と同じラケットを握った筈だ。でもそこに写っていたのは違うラケットだった。見た瞬間誰かに心臓を鷲掴みにされるような胸の閊えに襲われた。それからドリライ横浜初日の幕が上がるまで、黙示録のラッパのように私の頭の中に流れ続けたのはチムパでも歌わなかったのにドリライでも歌われずに終わると聞いた3rd立海の校歌だった。「何のために俺たちはテニスをする」。何のためにキヨスミ先輩は今回のドリライに参加するんだろう。2016は対戦校として。2017は最後に8人で揃うため*3。じゃあ今回は? そりゃあテニミュ15周年という記念すべき回だからなんだろうけど、有り得ないほど急に呼ばれて大した出番もないだろうに、キヨスミ先輩は一体何を為すために舞台に立つんだろう。千石さんとしての役目を終えて、しまう時に涙したラケット*4も無いのに。

 

 

 

19日の昼公演前。かずきとたくみを出しにして連れてきた母親に座席でペンライトの使い方を教えながら、内心気が気じゃなかった。先輩はどのラケットを握って出てくるんだろう。赤いのか青いのか、はたまた知らないラケットか。もりたくんが千石さんを大事にしてくれた証明のひとつであるラケット。これが最後の姿になるかもしれないのに知らないラケットだったら、2年連続でドリライ後の打ち上げがお通夜になるところだった。

ならなかった。もりたのキヨスミが握り締めるラケットの四隅は青かった。2年半近くずっと追いかけ続けてきた彼の姿はそのままだった。彼は最後まで自分のラケットとして、PROBEAMを握り続けてくれた。次の日もサブステ近くの花道に来た先輩を防振双眼鏡のレンズ越しに見つめて、一緒に観ていた友達にも思わず「PROBEAMだよ」と笑顔で話しかけてしまった。平古場も相変わらず同じ物を握っていたし、もりたくん本人が何も言及していないからキヨスミ先輩の握っていたそれが彼の私物なのかテニミュが用意したものなのかは分からない。私物だったら最高に嬉しい。もりたくんのPROBEAMは、いくら千石さんを大事にしてくれたことの証明であっても「レプリカ」に過ぎない。もし舞台上で握った物がもりたくんの私物なら、それも正真正銘3rdの千石清純のラケットのひとつになる。舞台上で千石清純として握り締めたラケット。もりたのキヨスミのラケット。そうだといいなあ。

 

 

 

 

 

ドリライ自体も楽しかった。何も思うところが無かったと言えば嘘になるけど、キヨスミ先輩に関してだけなら目の前で繰り広げられるものを享受するだけで頭がパンクしそうになるぐらい楽しかった。先輩の出番以外もしっかり楽しかった。数年前までヤク◯ト1本分しかジャンプできなかった*5もりたのキヨスミがセイヤーであんなに楽しそうに誰よりも高く飛び跳ねて、知らない選手も多い中で自分から色んな子と肩を組んだり一緒にコールをする姿を観て、私の永遠かと思われた先輩への問いかけは最早「問い」ではなくなった。キヨスミ先輩、テニミュ、楽しかったね!

 

 

 

山吹の代表として、あるいは山吹という学校の枠を出てテニミュの舞台に立ったもりたのキヨスミは、少しだけこれまでと違っていたように見えた。ザ・レギュラーのソロでカメラに向かって指鉄砲を打ち、女の子の黄色い歓声を一身に浴びる千石さん。旧知の仲の選手が少ない中でも誰彼構わず話しかけて肩を組んでにっこり笑(え)んで、もしかしたら今回のドリライを一番に楽しんでいるのは他でもないもりたのキヨスミなんじゃないかと思うほどに生き生きとした姿を見せてもらった。そんなもりたのキヨスミを見て、上手く言えないけど、私は千石さんに「俺は大丈夫だよ」と言ってもらえたような気がした。

去年の秋の新テニで千石さんが日本代表に選ばれた時、私は素直に喜べなかった。スポーツ漫画の一読者として納得できなかったし、一番大事なキャラクターの活躍の可能性を、あるいは活躍できない可能性に対する不安ばかりで真っ直ぐに祝福できない自分自身が嫌だった。心の中で何度もごめんねと呟いた。千石さんは私を咎めも許しもしないで、漫画の中で笑ってるだけだった。

今回のドリライは神戸が亜久津、そして彼からバトンを引き継ぐようにして横浜に千石さんが出演した。これがあまりにも新テニの、日本代表を去った亜久津と彼の後任として代表に選ばれた千石清純の流れと酷似していて、かわかみくんともりたくんのツイートを読んだ時にはあまりのエモさに眩暈がした。おまけにもりたのキヨスミは、はじめから「伴爺のいない世界」の千石清純だった。

 

kirie1202.hatenablog.com

千石は別に原作でもそんなに空白が多いキャラではないけれど、テニミュの千石、めちゃくちゃ大人なんですよね。伴爺の役割も兼ねてるからなんですけど、亜久津のことを理解しちゃってるキャラになってる。 桃城に負けた後、あんなに冷静に亜久津にアドバイス出来る千石はやっぱり伴爺がいないテニミュの千石なんですよ。

テニミュの山吹と和睦出来ない - 踊ってから考える

 

(一度ツイッターでも嬉々として紹介しましたが、3rd山吹モンとは言え過激原作厨でもある私はこちらの記事を読んで感激しました。3rd山吹ってDL2017の学校パートにも如実に現れてるとおり、どう考えても原作の山吹中そのものではないんです。他の学校も原作そのものにはなれないけど現在のテニミュの在り方ではどうやったって一番原作に近付けないのが山吹で、それを原作から山吹を好きなオタクがこうやって言葉にしてくれて、読んだ時は3rd山吹モンの癖にとてもスッキリしました)

 

もりたのキヨスミは妙に大人びてるだとか得体の知れなさが漂ってるだとか一人だけ人生3周目だとか山吹公演当時も色々言われていたけれど、一番の理由は彼が山吹の選手の誰よりも伴爺の役割を背負わされてしまったからだった。確かにそれは、テニミュがループを繰り返してまで描いている「序章(旧テニ)」の世界の千石清純の在り方には反している。負けた亜久津に「おしかったな どんまい!!」と声をかける千石さんは頬に汗を浮かべているのに、同じ言葉を口にするもりたのキヨスミには一種の余裕すら感じさせられる。亜久津にテニスを「つまんねえ」と言われた時の怒りと落胆と絶望が綯い交ぜになったあの表情を、都大会時点の千石さんは絶対に浮かべない。でもそんなもりたのキヨスミの在り方を一番に肯定しているのは、同じく伴爺のいない世界で誰よりも亜久津に関わろうとした新テニの世界の千石さんだと思う。だから同じように、私が色んなことを案じてしまった新テニの千石さんも、きっと今回のもりたのキヨスミが知らない人ばかりの世界でもうんとテニミュを楽しんでいたように、世界という広い舞台で、たとえ出番が少なくたってしっかりテニスを楽しんでるよ、そんな風に思えた。「俺は大丈夫だよ」って、もりたのキヨスミを通じて言ってもらえた気がした。この感覚を上手に言語化できないのがもどかしい。

 

 

 

Must Be Strong〜ファイナリストの三重奏。照明の落ちた通路で片膝を立てて俯くキヨスミ先輩の姿を見て、1年前に同じ横アリのステージで同じようにしていた3rd山吹のことを思い出した。3rd山吹もテニモンの私もここで長い眠りに就くんだと思った日のことを。でもキヨスミ先輩と、私は会えなかったけど亜久津先輩も帰ってきた。橘さんと観月さんまで年単位の時を超えて帰ってきた。

 

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目に、目に焼き付けて下さい。
記憶にある内はキャラクターはずっと成長してます。

 

2.5次元ってなんだろう」。ジャンルとしての2.5次元ではなく、次元としての2.5次元。そんなことを時々考える。「2.5次元ってなんだよ」。この世にいるのかいないのか分からない彼のことを大事に思うあまり、そんな悪態をずっとついている。千石清純は漫画を開けばいつだって存在するし成長だってする*6けれど、私たちが彼らに言葉を送ることはできても真に言葉を交わすことや、触れ合うことは永遠に叶わない。反対にキヨスミ先輩は確かに舞台の上にいて、私たちがさっきまで歩いていた通路を駆けていくことだってある。触れれば左右の掌の感触だって異なるし*7、彼が私の質問に答えてくれたり、名札に書かれた名前を「○○ちゃん♡」と満面の笑みで呼んでくれたことだって覚えてる。それでも彼らがいなくなるのは一瞬だ。舞台袖や客席の扉から捌けたり、幕が下りた瞬間にこの世界の何処からもいなくなる。次元の狭間の彼らの存在は物凄く不安定で、彼らが私たちと同じ次元に存在した時間もあっという間に過去になっていく。

 

 

しかしテニミュ3rdで観月役を務めてくれたみやぎくんは、私たちの記憶に彼らの姿がある限り、彼らは成長し続けると言ってくれた。原作漫画の作者がキャラクターの「成長」をキャラが存在することの証明のひとつとするならば、そしてみやぎくんがこう言ってくれたとおりに私たちが舞台上にいた彼らのことを忘れなければ、2.5次元という次元の狭間の彼らだってこの世界のどこかで成長し続けて、そしてその時彼らは存在するということになる。「2.5次元」ってなんだろう。2.5次元ってなんだよ。ずっとそう思ってきた。でも答えはこんなに簡単なことだった。照明の当たらない通路で片膝を立てて頭(こうべ)を垂れるキヨスミ先輩の姿を見て、確かに私は眠りに就いたようだと思った。けれども実際のところはどうだったか。あれから1年経った今でも、私は延々ともりたのキヨスミのことを考え続けている。画面の前で、遊んだ先で、自分一人で、誰かと一緒に。誰も眠ってなどいない。私が先輩のことを思い続ける限り、もりたのキヨスミもずっと息衝いていてくれる。この世界の何処かで。

 

 

 

 

 

キヨスミ先輩のラケットはPROBEAMだもんね

 

私はドリライも含めてテニミュのキャラクターの人生だと思ってるけど、DL2018はキヨスミ先輩と私にとってはコーダのようなドリライだったね。本公演やゲスト公演という本編も、チムライや学校としてガッツリ出演するドリライというスピンオフもぜんぶやり終えた後の余生のような、最後にうんと楽しむためのドリライ。これまで色んなことがあったけど、私ができることはぜんぶやったよ。キヨスミ先輩はやりたいことぜんぶできた? 深読みオタクだし要らないことも考えるオタクだから(まあオタクなんてそんなもんだよね)楽しかったことや嬉しかったことだけじゃなくて辛かったことも悔しかったこともあったよ。でもそれは私がいつだって全力でキヨスミ先輩と向き合ってきた何よりの証拠で、他のオタクにも好きなキャラクターとの思い出があるように、ぜんぶキヨスミ先輩と私というふたりだけの思い出で、喜怒哀楽ぜーんぶ他の人は知ることができないふたりだけの夢の世界の出来事なんだ。あー楽しかった!楽しかったね!楽しかったよ!本当に楽しかった!もしかしたらまたいつか同じ次元で会えるのかもしれないしそんなことはないのかもしれない。挨拶したとはいえふんわりした感じで帰っていったけど、2.5なんて次元の狭間の存在だし、そんなもんだよね。何処にいるのかわかんないけど、私が先輩のことをずーっと思い続けたら、先輩もどこかで存在し続けてくれるよね。

 

コーダ(coda)は、楽曲において独立してつくられた終結部分をいい、しばしば主題部とは違う主題により別につくられているものを指す。 元来は「尾」を意味する語で、ラテン語のcaudaに由来する。 ... 小規模なコーダはコデッタ(codetta、日本語では「小結尾部」とも)と呼ばれる。

コーダ (音楽) - Wikipedia

 

 

 

キヨスミ先輩ありがとう! またね!

 

 

 

 

 

今週のお題「あの人へラブレター」

*1:裕太のはステンシル無、ジローのはステンシル有

*2:ちなみにこちらもプロビーム。PROBEAM X-BLADE 3.15 OVER

*3:というのはあくまでも私の解釈であり先述の記事を参照

*4:DL2017パンフレット「DEAR PRINCE」より

*5:山吹公演バクステなど

*6:と書くと先日発売された新テニファンブック23.5のことのように思われそうですが、彼は序章のファンブックの時点で既に成長を見せています。作者がわざわざ本を売るための謳い文句にせずとも、彼らはちゃんと成長しているんです

*7:左:DL2016、右:今回と比較対象が2年前なので身体的な成長などの剰余変数もあるだろうけど、ずっとラケットを握り締めてきた右の掌の方が硬かった