しがないオタクがつらつらと

つぶやくにはながいこと

テニミュが取ったラッキー千石コールへの救済措置

 過激原作原理主義テニモンの個人の感想です

 

 

DreamLive2016の大阪公演を観たフォロワーが、「『ラッキー千石』の時に山吹の子が後ろでコールしてるの何て言ってるんだろう、どうせなら私もコールしたい」という趣旨のことを呟いていた。横浜のみの参加の私も、その時点では詳細は分からなかったがキャラクターと一緒にコールしたい点はとても肯けたのでRTしたような記憶がある。横浜公演に参加して、あのツイートで言われていたのはこのことかと知ることになったが、何をコールしているのかは私も一発では聞き取れなかった。何故ならそれが行われるのは千石が歌っている最中だったからだ。同じようにドリライオリジナルで行われるコールでぱっと思い浮かぶものに木手ソロ曲『俺は殺し屋と呼ばれる男』の「俺らの部長は卑怯者!」などがあるが、これは木手がワンフレーズ歌い終わった後に比嘉の子がコールする形になっている。しかし今回のラッキー千石の「いいぞ!いいぞ!ラッキー千石!」は「♪ゲームに勝つためには」以降のフレーズに被せるようにしてコールしている。キャラクターが歌っている最中にわざわざコールする曲が、テニモンに返り咲いたばかりの私のうろな記憶では他には思い浮かばない。山吹の子が後ろでポンポン持ってラインダンスをしているだけでも充分可愛いのに、果たして曲を遮ってまで他のキャラクターにコールをさせる意味があったのだろうか。

 

 

ドリライ版ラッキー千石の曲中でキャラクターではなくキャストの名前が叫ばれるのは、初めて曲が披露された2ndシーズンから既にそうだった。その時のキャストの名前が「せいや」でキャラクター名の「せんごく」「きよすみ」より曲に合わせてコールしやすく、そして3rdのキャストの名前も響きのよく似た「とうや」であったがためにそのまま慣習として引き継がれたと考えるのが妥当なところだろう。テニモンに戻ってから、いずれ来たるドリライでほぼ確実に歌われるラッキー千石のことを考える度に、「せいや」コールならぬ「とうや」コールはまず覆らないだろうと覚悟はしていた。実際その方がうんと叫びやすいので私も叫ぶとしたらそちらの方がいいのかもしれないと、「私が推してもないキャストの名前をコールしたとしてもそれは彼が最高の千石キヨスミを見せてくれたことへの感謝の意味であって決して何も考えずに響きとかノリを重視してコールする訳じゃない……」と自分で自分を納得させようと何度も試みたが、結局私が会場でキャストの名前をコールすることは一度も無かった。テニスの王子様が好きだからテニミュを観に行く原作原理主義テニモンの私は、最後までテニスの王子様の名前である「キヨくーん!」コールで通したのだった。

 

今やひとえにテニミュファンと言っても、原作よりも若手俳優コンテンツとしての側面を重視するファンも少なくないだろう。それに若手俳優のファンの人はその役者本人を見に来ているのだから、度を越さない限りは*1 思う存分推しの名前をコールした方がきっと推しだって喜ぶ。原作はまったくもって知らないけど若手俳優推しているようなテニモンが、役の名前を已む無く叫ぶ姿というのもそれはそれで見たくはないので(私は何かを全力で愛する人間が好き)、そういう人にはどんどん適度な範囲で推しの名前をコールしてほしいと個人的には思っている。しかしラッキー千石でキャスト名をコールしている人の大多数が本当にそのキャストを「推している」訳ではなく、ただなんとなく響きの良さでキャストの名前をコールしているだけなのは明々白々だ。コールなんて個人の自由だけど、それでも「千石清純」が好きでドリライのあの場所に居た私は、千石清純が名前をコールされないあの場にいるのが辛かった。テニモンに戻ってからドリライまでの数ヶ月間、まあ「とうや」コールだろうなと相当な覚悟をしてきたにもかかわらず、一番思い入れのあるキャラクターの千石清純を目の前にして「とうや」コールの渦中に居るのは想像以上に辛かった。仕方のない現象だとは充分に理解しているし、ファンでもないのにキャスト名をコールした個人のことを批判する気はさらさらない。私だって普段から「キヨくん」呼びはしてないし、それを踏まえればどう考えたって「とうや」の方が叫びやすい。DreamLiveなんて結局は楽しんでなんぼだと思うし、色々考えるよりも頭空っぽにして叫びやすい方を叫んだ方が楽しいに決まってる。ただそれが、テニミュのステージに向かってキャラクターではなくキャストの名前がコールされるという現象が集団レベルで発生して、それが当たり前のこととして成り立っているから辛いのだ。誰が良いとか悪いとかではなく、たまたまその現象の対象となってしまった千石清純というキャラクターを好きな私が辛いだけの話なのだ。だから「俺の名前を呼べ」「俺の名前で呼ばしてやる」とキャラクターから歌われて、それに答えるように「裕太ー!」と思いのままに叫べる裕太ファンが心底羨ましかったし、私も思いのままにルドルフの子と一緒に裕太の名前を叫んだし、原作ファンとしてはあの瞬間が一番至福の時だったのかもしれないとすら思う。

 

 

 

ここでドリライ参加前に見つけた、ネルケの松田さんのインタビュー記事の存在を思い出した。

 

──お客さんはどんな人たちでしたか。
 初演当時は原作のファンが一人で来るパターンが多く、劇場に来たこともミュージカルを観たこともない人が多かったと思います。有名な役者は出ていないわけですから、役者のファンはいませんでした。そういう原作ファンが受け入れてくれたわけです。
 でも想像しないことも起きました。お客さんが舞台の見方を知らなくて、キャラクターのファンだから例えば手塚が出てくると「手塚!」と叫んだり、名前を書いたボードを振りかざしたり。好きなキャラクターのコスプレもしてくる。コスプレは気が散るとか、ボードで舞台が見えにくいとか、ミュージカルなんだから声をかけるなとか、ファン同士で論争になった。役者もやりづらいというので、ホームページを使ってルールを周知しました。
 コスプレ禁止、声かけ禁止、ボード禁止。静かに見ましょう、と。みんないいお客さんですから、約束を守ってくれたのですが、それを見ていたらなんだか可哀相になって。これも不健全だと感じたので、舞台に出演している役者たちによるコンサートを始めました。ミュージカルで言うガラコンサートです。舞台を春と冬にやるとしたら秋にコンサートを開く。この時は「手塚~」「リョーマ~」と叫んでいいので、思いの丈を伝えて発散してくださいと。

 

 

お客さんが彼らの名前を叫んでいい、思いの丈を伝えて発散していい場所、というのがドリライが生まれた理由にあると松田さんは仰っている。この記事を思い出しながらドリライ2016のラッキー千石のことを振り返ると、確かにキャスト名のコールが殆どであった瞬間もあった。しかしあの場で私たちはしっかり、会場が一体となって千石清純というキャラクターへのコールを行っていたのだ。いいぞ!いいぞ!ラッキー千石! 最初の頃こそ聞き取れなかったけど、聞き取ったテニモンやそれを知ったテニモンが会場でコールすることによって、ラッキー千石コールはドリライの中で着実に広まっていった。私だって山吹中2年女子の気持ちでアイドルのように一方的に慕っているキヨスミ先輩へのコールを全力で叫んでいた。あの瞬間パシフィコ横浜に居たのは、コールを貰うキャストの意識としてもコールを叫ぶ観客側の意識としても、あの瞬間ステージに立っていたのは間違いなく千石清純だった。――ということにドリライが終わって一週間経ったあたりで気が付いて、キヨスミを追い駆けているテニモンの私は少し、否かなり救われたのだ。実際に興行側があのコールに対してそこまで考えているかどうかは問題ではない。少なくとも一人のテニモンが、3rd初のドリライであのコールが与えられたことによって救われたし、キャスト名コールに対して頭を抱えている同じようなテニモンが、これに気付いて少しでも気持ちが晴れればそれでいいと私は思う。

 

 

 

*1:キャスト名の前に「超絶可愛い!」などのフレーズまでもを付けてコールするのは流石にルール違反というか、舞台のガラコンサートを観に来ている以上観客としての品位に欠けている行為だと思う