春の夜の夢の浮橋とだえして山に吹き荒ぶ一陣の風

心のどこかで分かってはいたがドリライが中止になった。延期ではなく中止。そりゃあれだけの人数を揃えて稽古もして、なんてのはこのご時世無理がある。分かってはいた。それでも遣り切れないものは遣り切れない。3rdシーズンの上がった幕はいつどうやって下ろされるのか。


この一件で、瞬間的な喪心が大きかったのが推しのツイートだった。推しのことはミュキャスだから応援している訳ではないので、テニモンとしてショックだったのではなく一人の俳優のファンとして胸が苦しくなった。薄ミュ、笑うせぇるすマンと出演作品の中止が相次ぎ、報告が増える度に意気消沈していく様に心が痛んだ。ファンやオタクが受けるのは「中止のお知らせ」という受動的な苦痛のみだが(無論それを軽視しているのではなく、そこには個々人の多種多様な苦しみがある)、役者含む興行側には「中止の決定」という苦渋の判断があり、それを決めた・受けた後に改めて自分の口からファンへ「伝え(=お知らせし)」なければならないという能動的な苦痛もある。薄ミュの時は映像配信が予定されていたこともあり(結局それも中止になったが)明るく振る舞ってくれていた、し、それが実際の彼のテンションでもあったと思う。しかし今回は簡潔に、あの「漢字が読めない(※マジで読めない)」だの「文字情報が苦手*1」だのと散々言いながらも自分なりの言葉で朗らかにメッセージを伝えてくれる彼が、テニミュ公式の中止ツイートを引用して非常に簡潔な二つの文章しか言葉を綴れない状態だったのが辛かった。私が直接的に辛いのではなくその二言しか打てなかった彼の心情を慮ると、ファンクラブでお悩み相談とか受け付けてる場合じゃないだろちゃんとストレス発散できてる?インスタライブ来週もやるって言ったから明日やってくれるみたいけど休みたい時は無理しないでいいんだよ?ファンのみんなが待ってるとか思うかもしれないけど、本当に落ち込んだ時は想像的・創造的なことが何もできなくなるのを身を以て知っている私は、いいから布団に入って寝ろそれか人と話すことで発散できるなら仲のいい子と電話してそれからたっぷり寝ろと推しの身を案じてしまうし、そうすることしかできない。

 

 


3rdの幕開けからここまで来てくれたそらむのツイートが、オタクの気持ちも演者の気持ちも代弁しているようで、ちょっと泣いた。何も言えないけど何かを伝えなきゃいけない。四天公演の千秋楽で胸を打つコメントを残してくれたそらむですら言葉が見つからないのだから、推しに至ってはもっと見つからないだろう。重なる中止、伝えられる中止と伝えなければならない中止、遣る瀬無い。

 

 


テニモンの私は何を思っていたのかというと、キヨスミを演じてくれているもりたくんの言葉を待っていた。それまでは、ああやっぱりなという虚脱感と、主に青学10代目と四天宝寺立海(と唯一出演したドリライ(2017)がクソ公演だったと個人的に思っているのであれで終わらせないでほしかった氷帝)の締め括りやそのオタクを含めた救済はどうするのかと、何よりもミュージカルテニスの王子様3rdシーズンはどうやって幕を下ろすのかとで茫漠としていた。終わったのだ本当に、という実感はいつ得られるのか、それとも得られずに終わるのか。ただ、3rd千石のオタクはかなり恵まれていると思っているので、そこに属する私なんかが騒ぎ立てて悲しんでいいものかという気持ちもどこかにあったし今もある。


DL2017に山吹が勢揃いしたのもかなり驚いたが、DL2018ではテニミュ15周年ということで山吹の代表として大阪に亜久津が、横浜に千石が呼ばれ、2019年は待望の大運動会と、メインを飾る期間を過ぎてなお3rd千石は私たちの前に姿を見せてくれた。しかしそうじゃないキャラクターだって勿論いる。今回のドリライに千石の出演が決まった時も、正直ライバルズ+佐伯*2を揃えて全校ドリライ!でもよかったのにと、出演人数多いけど青10と四天と立海の出番を大事に作るんだぞと「テニモン」の私は思った。「キヨスミのオタク」の私は先輩を見られればなんでもいいのでどこでもいいから全公演分のチケットをくださいあーでも客席降りで見えないエリアに行かれると詰むから良席じゃなくていいので先輩をぜんぶ見られる座席を……と祈っていた。先に書いたキヨスミが出演した興行に、毎回私は「きっとラストだ、ここに来るのは!」と黄金ペアのような面持ちで参加していたし、毎回キヨスミ先輩との終わりへの覚悟を持ってオタクをやっていた。私にとって“激情に秘めた微笑み”とは、いつか必ず来たる、そして「他校」が故にいつ訪れるかは判らない別れのためのものだったのかもしれない。


ベッドに入ってリモコンで電気を消して、寝る前にツイッター覗いとくかとアプリを立ち上げたら若俳リストの一番上にもりたくんの投稿があった。無念の言葉の後に記されていたのは、「ですが、健康が第一です。一緒に辛い時期を乗り越えましょう。」のコメントだった。もりたくんが言っている辛い時期というのは、テニミュやエンタメに限らず何かと我慢や堅忍を強いられてばかりのこの現状を主に指しているのだと思うが、もりたくんがテニモンや自分のファンもしくは人類の健康を気遣ってくれたことによって、何故か私は自分も悲しんでいいんだと、人には人の悲しみがあるように私には私の悲しみがあって当然なんだと、肩の荷が下りたような気持ちになってスマホの画面を消した後もしばらく泣いていた。テーブルの上には常に(アクスタが)居るがしばらく脳内に現れなかったキヨスミ先輩が、枕元にやってきて何かを言ってくれた気がしてまた泣いた。悲しいよね、とか残念だね、とかそういった類いの言葉を。すーちゃん。――――――。よしよし。そうしてそのまま眠りに就いた。

 

 

 

先輩へ。先輩はお元気ですか。私は元気に引き籠っています。先日鞄を買いました。緑色のワンピースによく似合う、小さなオレンジのバッグを。今日は愁える日常の中のささやかなお祝いのために、小さなホールケーキを買います。

 

 


起きた後の世界でもドリライは中止だった。悲しい。いつだって最高を更新してくれるキヨスミの最高が見られなくなってしまったのが悲しい。先輩の居る世界が宙ぶらりんになってしまうかもしれないのが悲しい。それでも私はどうしても自分の悲しみを追い遣って、自分以外の、王子様と一緒に切るつもりだったゴールテープを取り上げられてしまった、特に青10と四天と立海とそのオタクたちと、3rdシーズンそのものへの救済を一番に求めてしまうのだった。 

 

*1:きしもとくんとのインスタライブ(先週)でそのような発言をしていた。別の時(バイベ?)に台本にある熟語なども解らないことが多いのですべて一度自分なりの言葉に噛み砕いているとも言っていたが、相当な労力を費やしているけれどもそれは役を演じる上でとてもいい手法なのでは?と感服した。具体的な文章や表現ではなく抽象的にものごとを捉えるタイプなのかなと個人的に感じている

*2:ライバルズには六角がいない+かなめくんの急病による大運動会の欠場の埋め合わせ