テニミュ3rdの幸村精市は「テニスを諦めない」

凱旋にして漸く3rd全国立海公演後編を観ることが叶った私は、3rd幸村が踊る『幸村のテニス』を観て涙を流した。

 

 


私はテニモンの中でも「(元)原作厨」に属する人間だが、幸村に関しては1stのますだの幸村を観てから好きになったという若干イレギュラーな経緯がある。漫画ではノーマルなテニスをするだけで、しかしそれ故に相手が「イップス」に陥るという分かり難い強さを持つ彼の圧倒的で無慈悲なまでの強さを、そして立海三連覇のために艱難辛苦を乗り越えた先に、「テニスを楽しむ」という自分には到達できないだろう境地にある「天衣無縫の極み」を見せつけられ、それでも尚「勝つこと、勝つこと、勝つこと、天衣無縫の極みがなんだ!」と死に物狂いでテニスにしがみつく幸村精市の姿を私に教えてくれたのは、ますだの幸村だった。あの時から私は「萌え」ではなく「燃え」、スポーツ漫画の文脈の中のみで幸村精市が好きだ。そして彼が歌う『幸村のテニス』も大好きだった。

 

 


『幸村のテニス』という曲、そして幸村のテニスそのものに関して、私には新テニ連載開始以前からの持論がある。


幸村のテニスは、「どんな打球も難なく返球し、相手に「どんな技を繰り出しても返される(意味が無い)」という恐怖心のようなイメージ*1を植え付けることによりイップスに陥らせ(五感を封じさせ)る」ものである。また『幸村のテニス』の歌詞を何度も聞き返しているうちに、これは幸村が難病に罹りテニスを奪われかけた自分の状況を、そっくりそのまま目の前の対戦相手に突き返しているだけではないかと思い至った。

お前はただのでくの棒
右も左も上も下も お前にはもう関係ない
無重力状態に漂う 哀れな負け犬

3rdでは制服の幸村(アンダー)が病気を発症した瞬間の演出がある。ゆっくりとした無重力状態のようなスロー演出の中で「身体の感覚が無くなっていく」と思いながら、幸村は地に伏す。幸村の病状は、現在では修正されているが「ギラン・バレー症候群に酷似した」難病だった。

ギラン・バレー症候群はこんな病気
脳や脊髄から体の各所に電線のようにめぐっている神経(末梢神経)が原因で、急に発症し、数日で次第に手足が動かなくなる病気です。

https://www.saiseikai.or.jp/medical/disease/guillain_barre_syndrome/

試合の中で次第に五感を奪われていくリョーマに追い打ちをかけるように、立海レギュラー陣が歌詞を続ける。

あれが幸村のテニス 奴はもう動けない
あれがあいつの強さ イップスで金縛りさ
時の流れも止めてしまう 奴は未来に進めない
茫然と立ち尽くすしかない 悲惨な人形

しかしこの歌詞、幸村のテニスを受けるリョーマのことを歌っているのは事実だが、翻せば病に伏せていた時の幸村の状況とほぼ一致している。金縛りのように鈍磨していく感覚の中、医師の「テニスなんてもう無理だろう」の声を聞いてしまった幸村の心境は、まさに「俺は未来に進めない」だったことだろう。一方、志を共にする仲間は無論本人たちにその気は無くとも、幸村を置き去りにして立海の勝利のためにテニスの腕を磨き続けている。幸村だけが、ベッドの上という停止した時の中に取り残されている。「暗闇」の中にいる幸村*2が「テニスの話をしないでくれと言っているんだ!」と、勝利という「光」に向かって進んでいる彼らを突き放し慟哭するのも無理はない。(余談だが、彼の後輩である切原赤也のアニメのキャラソンには『HIKARI』というタイトルの曲がある)

 

 


ますだ、というよりも1stの幸村は純粋に立海の勝利だけを追い求めて試合をしていた。その姿を観て幸村精市を知り、彼を好きになった私は、関東大会後の3rd新曲『永遠のエンブレム』で幸村が「元気でいるか? 頑張っているか? みんなの友情に感謝する」「早くみんなの結束の輪に加わりたい 必死のリハビリはお前たちのそばにいたいから はやる気持ちがきっと回復を早めてくれるだろう」と歌っているのを観てマジギレした。幸村くんはそんな甘っちょろい気持ちでテニスしてるんじゃねーんだ、立海三連覇のため、もうテニスはできないだろうと言われながらも自分を律し奮い立たせて血を吐くような思いで必死のリハビリをして、辿り着いた先があのテニスなんだと。1stの頃は原作(無印・旧テニ)の連載が終了したばかりで、幸村精市に関する描写も乏しかった。だから私は尚更、「幸村のテニス」は幸村くんが塗炭の苦しみの先に掴み取ったもの、あるいはその苦しみを自分のプレイスタイルとして取り込むことにより「膿」を吐き出すような儀式に近いものなのかもしれないと思っていた。

 

 


全立後編で漸く試合をするテニスプレイヤーとしての3rd幸村を観た時に、私は彼が自分に相対する、つまり自分に挑んだところでどうせ負けるしかない遠山や越前への憐憫や、同情に近い憂いすら抱いているように感じた。たていしがそう意識して表情を作っていたのかは分からないが、というかたていしは恐らく幸村精市として凛々しく佇んでいただけではないかと思っているのだが、ますだともかみながとも違うあの宛転蛾眉の顔立ちは、私の瞳に3rd幸村をそういう風に映した。記憶を取り戻し自分と対峙するリョーマに、幸村は1stと同じく『これでもう終わりかい?』を歌う。「俺を見ろ 俺を感じろ 俺を敵対視しろ 俺に打て 俺に向き合え 俺を叩きのめせよ」 1stのますだはその後に続く歌詞「目の前の現実に早く気付くんだな 俺はお前より強いと言う現実に」とあるように、徹底的にリョーマを伸すように歌い上げていた。しかしたていしは言葉の羅列の最後「俺を叩きのめせよ」で両手を広げ、やや天を仰ぎながらしばし瞳を閉じる。その目蓋の裏には、口にしている言葉とは真逆の「勝利」の二文字しか浮かんでいなかったことだろう。この腕で、この身体で掴む勝利。幸村は自分の身体が動く喜びを、「テニスがをできる喜び」を享受している。だから私は、次に彼が歌った『幸村のテニス』で涙した。

 

 


幸村の試合中のメイン曲は、1st(幸村のテニス)と2nd(幸村の暗闇)とで異なっている。3rdの幸村には新曲が用意されなかった。その事実は実際にこの目で公演を観る前からツイッターのタイムラインに流れてくるので知っていたし、憤慨もしていた。同様に全立前編で3rd真田が新曲ではない『風林火陰山雷』を歌った時に、3rdはたづるの真田に専用曲を用意してやらずに終わるのかと憤っていた。好きな人には申し訳ないが、『風林火陰山雷』は残留させるようなクオリティの曲ではない。すべての学校の校歌を刷新したように、風林火陰山雷の曲も3rdなりのアップデートがされることを期待していたので尚更残念だった。『幸村のテニス』も大好きな曲ではあった。友達が「うっかり幸村のテニスのやつネットで見ちゃってハマっちゃったから立海の円盤見せて」と言ってきたので、別にそれを見たくもない独り暮らしの友人の家にあのクソデカ6枚組円盤セットを持って押しかけ家主が鍋を作っている間に二人でモエ・エ・シャンドンを飲みながらペンライトを振り回し一頻り大暴れして鍋食って帰ったというエピソード*3があるぐらいには大好きだ。しかしたていしもまた新曲を与えられずに終わるのかとがっかりしていた。

 

 


ところが私は彼が踊るその曲で泣いていた。本家とも取れる1stのますだは、有名なシーンだが地面に手をつくリョーマのそれを踏み付けるような振り付けが最も印象的で、それ以外にもダンスと呼べるレベルの振りは与えられていなかった。しかし3rdのたていしの幸村はこの曲で踊りまくっている。これも賛否両論あるのかもしれないが、そもそも私のTLには3rd幸村に関する直接的な評価がほぼ流れてこなかったので、私はそのことを知らないままTDCに来た。

これが俺のテニス
お前の五感を奪う
これが俺のやり方

かわいそうだけど仕方ない
俺と戦ったことが不運だったと
諦めるんだな

自分のプレイスタイルを、そして自分のテニスの前に敗北するしかない相手への憐れみを、彼は舞台の上を縦横無尽に舞いながら歌い上げる。幸村精市は、自分の肉体が自分の思うように動き、立海三連覇のために他の誰でもない自分自身がテニスをできる喜びを噛み締めている。感覚が失くなり、ラケットも思うように掴めなかっただろうあの日の苦しみから這い上がってきた幸村の根底にあったのはテニスを諦めない気持ち、そう、新テニの「俺はテニスを楽しめない!! でも……… テニスは諦めない―――」「テニスを出来る喜びは 俺は誰よりも強いんだ!!」、そしてその根底にある原体験は、幼い頃のゲンイチロー(真田)の「最後まで諦めるなよぉぉぉ!!」という涙ながらの喝なのだ。


2ndシーズンの決勝戦で、最後に涙を流したのは幸村本人だった。その時に私はかみながの幸村から、彼もまた一人の中学生テニスプレイヤーなのだと、「ラスボス」という立ち位置に埋もれがちな、主人公の勝利という圧倒的な光の影にある敗北への純粋な感情を、真っ直ぐな悔しさを幸村も抱いているのだろうということを教わった。だからこそ3rdの幸村が、新テニという「その先の可能性」を知っている彼が敗北しても涙を見せないことに意味があるのだ。かみながの幸村の涙があってこそ、たていしの幸村が最後まで視線を揺るがすことなく全国大会を終えることの意味が際立つ。たていしの幸村は、「テニスを楽しむ」者が到達できる天衣無縫の極みを目の当たりしても、自分の背後に「敗北」の二文字が迫り来るのを確かに感じ取っても狼狽えることはなかった。動揺こそすれ、たていしの幸村は最後まで神々しいまでの凛々しさを失わない。チームメイトが待つベンチに戻り、空を仰ぎ見る幸村の表情は毅然としていた。3rd幸村は「テニスを諦めない」ことを知っている。

 

 


幸村くん。幸村くんは、五感を失ってなおテニスを続けようとする越前リョーマの姿を見て、「誰もがもうテニスをするのも嫌になるこの状態で このボウヤは…」「やはりキミは危険すぎる」と思っていたよね。でもそれは、少し前の幸村くんだって同じだったんじゃないのかな。幸村くんは病気になって、お医者さんの「テニスなんてもう無理だろう」の言葉を聞いてしまった時、「誰もがもうテニスをするのも嫌になるこの状態」を、その身で思い知ったことがあったよね。それでも諦められなかったんだよね。立海三連覇のために、自分のことを待っていてくれるチームメイトのために、そして誰より自分のために、幸村くんはもう一度ラケットを握ることを決意した。テニスを諦めなかった。だから今そこに立っているんだよね。幸村くんは越前リョーマに「諦めるんだな」って歌ってたけど、それは「その先の未来(新テニ)」の可能性が提示される前の心境だったかもしれないけど、幸村くんはどんなに辛くてもテニスを諦めなかったよね。その先にあったのはテニスをできる喜びで、君がそこに到達できたのは、リョーマくんが最大のライバルである父親に「テニス楽しいか?」と問いかけられた原体験があったように、大切な仲間であるゲンイチローくんからの「最後まで諦めるなよ!!」という心強い励ましが遠い日にあったからだよね。……幸村くん。試合をしている時はリョーマくんのことを完全なる敵だと思っていただろうし、しかも自分には絶対に理解できない「テニスを楽しむ」という境地に至った彼のことを、自分とはまったく別の存在だと思っているかもしれない。でもね、幸村くんもリョーマくんも、そしてきっと他のみんなも何も違わないんだよ。リョーマくんの答えは「テニスを楽しむ気持ち」だったけど、幸村くんは今、テニスができて嬉しいんだよね? 私は君がたていしくんの身体を通して、ラケットを握りコートの上を華麗に舞う姿を見て、君がテニスを諦めないでくれて本当によかったと思ったんだよ。幸村くん、もう一度テニスができて嬉しいよね。私も一度はテニスを手放そうと思ったけど、君にゲンイチローくんがいたように、私にも大事な人がいて、結局ここまで来ちゃったよ。幸村くん、本当によく頑張ったね。テニスを失うかもしれない恐怖を味わった君は、きっと誰よりも苦しんだよね。でもその分、君が知っている「テニスをできる喜び」は、きっと誰よりも強いものだよ。本当にお疲れ様。昨日は負けちゃったけど、私は君の視線の先にはまだまだテニスコートが広がってるって信じてるよ。テニスを諦めないでくれて、ありがとう。

 

 

 

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今週のお題「大切な人へ」

*1:個人的には心理学の「学習性無力感」に近いものだと考えている

*2:2ndの幸村の曲のタイトルは『幸村の暗闇』であり、この歌詞もまた幸村がテニスを失いかけた苦しみを対戦相手に呪縛のごとく押し付けていると取れる

*3:このエピソードを本当に好きな理由がありまして、私のツイッターもご覧になっている方にとっては耳タコ話ですが、当時この友人には「自ジャンル」と呼べるものが無かったんですね。だからずっとテニスがある私や、長いこと別ジャンルにいるもう一人の友人のことを常々「羨ましい」と口にしていて、彼はそれまで「友人あるいは同ジャンルの人間とオタク的要素を共有し楽しむこと」をほぼ知らなかったんです。なので私と幸村のテニスの映像を見ながらペンライト振り回して幸村くんの振りを真似して大騒ぎした後に彼がその場に突っ伏して「楽しい……ほんと楽しい……俺こういうことしたこと殆どないから……すげー楽しい……」と感極まる姿を見て、デカいリュック背負って円盤6枚持ってきて本当によかったな……と思ったし、テニスを楽しめない幸村くんが私の友人というひとりのオタクに「楽しむ」ことを教えてくれたのがエモすぎてこの話死ぬまでにあと13回ぐらいはすると思いますね