昨日の青春

 

 

 

私はテニミュに於ける自分の好きなキャラやキャストに「○○、テニミュ、楽しいか?」と訊かれて「テニミュって……楽しいじゃん!!!!!」と心の底から答えられるならテニモンだと思います。私は森田キヨスミに「すーちゃん、テニミュ、楽しい?」と訊かれたら笑顔で「テニミュって……楽しいじゃん!!!!!!!!」と答えられます(後略)

私が思うテニモンの定義 - しがないオタクがつらつらと

 

 

 

チケットの枚数こそ減ったものの、今でも私はテニミュを毎公演欠かさず観続けている。それは「テニスの王子様」という作品のオタクだからであり、2ndシーズンが終わって1st地縛霊としての(自分自身への)遺恨も薄れてきた頃に思った「次のシーズンこそはとりあえず最初から最後まで見届けよう」という小さな決意のようなものを持っているからである。抱えていると言うには軽すぎる、大したことのない思いだ。

 

 

 

3rd六角公演の大千秋楽ライブビューイングを観に行ったことを私は後悔している。テニミュを初めて観てから空白期間も含めて今日でちょうど12年経つが、テニミュを観に行ったことそのものを後悔しているのは現時点ではあれが最初で最後だし、氷帝厨に属するフォロワーが何人もライビュのチケットを手放していた判断を私も信じるべきだったのだとひたすらに後悔した。その後悔は「テニミュ」そのものに対するものよりも原作厨としての怒りの方が強く、私自身も瀕死ではあったが私よりも「ミュージカル『テニスの王子様』が死んだ」と思った。最終的に私が死んだのは、テニモンとしての私が死んだのは、TSC先行で掴んだ立海初日のチケットをあっさり流した瞬間だった。と思う。

 

そもそも3rd関東立海公演のチケットは始めから自分の分として申し込んだものは1枚もなく、チムライ山吹の時に3列目通路を出してくれたフォロワーへの恩返しも兼ねて彼女の希望である初日と大楽のチケットをそれぞれ申し込んだ物だった。彼女は別口でも初日のチケットを当てたので、だったら私が当てた分を引き取ってもいいかと訊ねて譲ってもらった。しかし入金するのをすっかり忘れていた。ご存知の通り立海公演のTSC先行チケットの入金締切日はDL2017の最終日と被っており、横アリ周辺のファミマには同じようなテニモン達が長蛇の列を成していた。ざっと見て30人、1人1公演分の手続きで終わる訳が無い。15秒ぐらい唸ってファミマを後にした。一緒に居たフォロワーにも「完全に(テニモンとしてのすどが)終わったな」と言われたし、自分でもそう思った。ステージに片膝を突き眠るように頭(こうべ)を垂れる3rd山吹と共に、テニモンの私はあの日の横アリで永い眠りに就いたのだ。

 

 

 

観られればいいやという緩い気持ちで探したチケットで観た立海公演は楽しかった。原作を知るオタクとして観に行って楽しめる、いい2.5次元舞台だと思った。東京公演のうちにもう一公演は観たいと思えたので、本公演で初めての当日引換券*1にもチャレンジした。ちゃっかり本公演で初めてのハイタッチまでいただいて、なんだかんだでエンジョイしている。凱旋のチケットも日が近くなったら探そう。照明が見たいので2バルのが見つかればラッキーだ。

 

 

 

テニミュは楽しい。今の私がテニミュを楽しむことができているのは、もりたのキヨスミが私をテニモンに戻してくれた、というと語弊があるが、彼が「(原作厨か否かに関わらず)テニミュを観るオタクとしての視点」をもう一度思い出させてくれたからだと思う。テニモンに戻る前と後では、舞台の見え方がまるで違う。細かい動きやふとした演出の妙に気付くか気付かないか(無駄な深読みとも言う)、この視点が有ると無いとでは舞台を楽しめる度合いが格段に異なる。彼が与えてくれた視点を持って、これからの公演も東京と凱旋の1公演ずつ+αぐらいは通うだろう。会場やそれ以外の場所で会ってくれるオタクとテニスの話の一環としてテニミュの話もするだろう。しかしいくら視点を獲得したからと言って、今の私がテニミュを楽しんでいるのは「テニスの王子様」だから楽しんでいるのであって、テニミュそのものを楽しんでいる訳ではないのだと思う。それでも私は誰かに――この想定し得る「誰か」というのは架空の原作厨や2.5次元舞台に対する下地のあるオタクだが――「テニミュって楽しいの?」と訊かれたら「楽しいよ、観たことが無いなら試しに観に行ってみる価値は絶対にあるよ」と答えられる。

 

 

 

――とまあこんなことを書いたところで、「すーちゃん、テニミュ、楽しい?」と訊いてくれるもりたのキヨスミが私の前に現れることはきっともう無いのだ。それがすべての答えである。

 

 

 

*1:初めての当引は8代目卒業TSCPP大阪(山吹回)