つぶやくにはながいこと

あたまのたいそう

逃げ(られ)ない人々

 

シン・ゴジラを見ました。ほんの些細な感想、過去に自分の身に起きたことと重ねた感想のようなものを書きたかったのですが、ツイッターでやるとネタバレになってしまうのでこちらに書きます。しかし映画本編に関してはあまり触れていません。

 

 

 

 

 

 

 

 



映画を見ていた時に、隣に座っていた母がこっそり耳打ちしてきました。「私だったら東京を離れるのに」。確かゴジラ(のようなもの)が一度東京湾へ還った後の、平和的なBGMとともに流れる、ごく普通の日常が一時的に返ってきた風景のシーンでした。映画を見終わって、家族で昼食を取っている時にももう一度母は「私だったらあんなのが東京湾から出てきた時点で東京から離れられる限り離れるけど、一度ゴジラが還った後もみんな(=一般市民)は逃げないんだね」と言ってきたので、私は「思い出してよ、311のときだってみんな東京を離れなかったでしょ」と返しました。

 

 

 

311が起こったその時、私は大学のサークルの合宿で岩井の海岸から200メートルの宿舎に居ました。外部の先生を招いての練習中だったこともあり、地震の度にドアや窓を開けたりしながらも私たちはのんびりと練習を続けていました。休憩時間に部屋に戻ってテレビを点けたところ、市原市のコンビナート火災の映像が流れていました。合宿という非日常の中に居たこともあり、その時の私(私たち)は事の重大さにあまり気が付いていなかったように思えます。その夜は停電もしましたが、宿舎の方が尽力してくださったお陰で大きな不自由に見舞われることもなく、翌日になっても電車が動かなかったためとりあえず予定通り打上げをしようと、近くのスーパーなどに買い出しに行ったりして、いつもの合宿と同じようにもう一晩を過ごしました。打上げの後片付けで疲れ果てて入浴もせず先輩たちと眠っていた私が起きたのは翌朝7時、携帯を見ると何十件もの着信履歴が。すべて母親からの電話でした。慌てて折り返すと「○○!何処に居るの!?何してるの!?もう電車も動いてるんだから早く帰ってきなさい!貴方だけじゃなくて他の子も電車が動いてるうちに帰りなさい!外房線なんていつ止まってもおかしくないんだから!他の親御さんだって心配しているでしょう!他の子が帰らないなら貴方だけでも帰ってきなさい!」と捲し立てられました。幹事長にその旨を伝えたところ「今すぐ帰ったところでどうしようもない子だっているからサークルとしては予定通り午後イチで帰る」と言われ、一足先に帰ることになった私はたまたま車で来ていたOBの先輩に近くの駅まで送ってもらいました。家に帰って早々母親から告げられたのは下関の親戚宅への避難、いわゆる「疎開」の命でした。「ここはホットスポットから遠くないし原発だってこれからどうなるか分からない、計画停電も始まって物資も手に入りづらくなるかもしれない、お父さんは仕事があるしお母さんも一緒に此処に残るけど、貴方たち(私と当時高校生の弟)だけでも逃げなさい」。結局私はサークルの仕事のために一週間で東京に帰らざるを得なくなったのですが、弟は始業式の前日まで下関に避難していました。母親としては私にも帰ってきてほしくなかったようですし、私が帰ってきた日(雨だった)の翌日に「昨日の雨が放射能物質を吸って落ちてきてたかもしれないんだって、せめて貴方が帰るのを一日でも遅らせればよかった」と漏らしていたのをとてもよく覚えています。

 

 

 

映画を見た母親は「あんな得体の知れないのがまだ東京湾周辺にいるかもしれないなんて怖くて東京で暮らせないよ」と言いました。311を振り返る時の母親も「だって放射能とか風向きによってはこっちに飛んできてたかもしれないんだよ、(子供を疎開までさせたのが)大袈裟だって言われるけどみんなあの時放射能とか怖くなかったのかな、私は本当に怖かった」と言います。私は今となってはこの話を半分笑い草として語っていますが、シン・ゴジラを見て「あ、」と思ってしまったのです。ゴジラ東京湾から現れて、少なくない被害を出しながらも一度海に還り、ああ災害は終わったのだと安心していつも通りに暮らしていた映画の中の東京都民は、311の時にとりあえず地震もひと段落したようだしと合宿先でのんびり打上げをしていた私だったのかもしれないと。電車が動き始めても「動いているうちに早く帰ろう」とはしなかった他の子や、そういう連絡をしなかった他の子の親たちなのかもしれないと。結局その合宿の時に予定より早く自宅へ帰ったのは、私と私に付き合わされた当時の彼氏だけでした。しかし幹事長が言った「今すぐ帰ったところでどうしようもない子だっている」というのも事実で、私にはたまたま避難できる場所や避難させてくれる人がいただけなのです。当時学生だった私はたまたま春休みで避難できる環境にあっただけなのです。日本の社会の機能が動いている限り社会人は休むことが(基本的には)できませんし、実際311の時も父と母は未曾有の大災害の後も東京に残る選択をするしかありませんでした。斯く言う私も、サークルの仕事のために結局一週間で東京へ帰ってきました。確かに私は一時的に避難したけれど、私だって「逃げられなかった」人間の一人なのです。


一度ゴジラが還った後に避難せず普通の日常を送る人々の姿を見て「何故逃げないのか」と思った人のうち、果たして何人が、本当に未曾有の大災害に襲われてそれが一度鎮静化した時に避難行動に移ることができるのだろうか。それはきっと映画の中と同じなのだろうなと、私は思います。中にはただの平和ボケで逃げない人もいるだろうけれど、「避難というのは、疎開というのは生活を捨てさせることだ」というような台詞が劇中にもあったとおり、私たちは生活を捨てられない。ほんとのほんとに死の間際にならないと、逃げられない。