つぶやくにはながいこと

あたまのたいそう

千石清純へのラブレター、あるいは彼への考察と二次創作

 

 

私が千石清純を好きになったのはオタクになってから1年しか経っていなかった頃なので、漫画やアニメを見て考えを深めるとかそういうことをすることもなく、そのうち私は別のキャラたちを好きになり、彼らについて思案を巡らせては一人勝手に興奮したり切なくなることはあっても、一番最初に好きになった、私をテニスの王子様と出会わせてくれた千石清純についてを深く考えることはあまりなかった。しかし昨年の末に彼の試合を初めてこの目で観て、漫画を読み返すように何度も何度も観に行って、気が付けば私はもう一度彼に恋をしていた。

 

ラブレターと言っても原作やファンブックやテニミュなど多角的な観点から千石清純を見つめる、ただの考察と二次創作が入り混じったようなものです。私なりのラブレター、ということでご容赦ください。またあくまでも一個人の二次創作的な考察が多分に含まれておりますので、ご自身の解釈との違いが許せないレベルだった際は画面に唾を吐きながらそっとタブを閉じてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

清純くんがいつからテニスを始めたのかを私は知らないけれど、ダブルスが主力と言われる山吹中テニス部の中で、シングルスプレイヤーなのにエース扱いをされるほどの実力の持ち主ということは、中学校に入学するよりも前からテニスをやっていたのかなと勝手に思っています。でもスポーツ推薦のある山吹中に推薦ではなく一般受験で入学したようなので(受験の前日にヤマを張って大当たりしたそうですね)、スポーツに力を入れている山吹だから入学したという訳でもなく、すると恐らく清純くん自身が当時テニスに物凄い情熱を傾けていたという訳でもなく、自宅から近くて(小学校も山吹第一らしいのでその辺りに住んでいることでしょう)学力もまあまあ見合っていて校風も悪くなさそうだったとか、そういう理由で山吹への入学を決めたんでしょうか。清純くんが山吹に入学して、いい仲間たちと出会えてよかったと思えているなら何よりです。

 

2年生の時のジュニア選抜はいかがでしたか? 他の選手(手塚くん)の辞退による繰り上がりでの参加、それも負けたことのある選手の後釜で選抜されるのは少なからず悔しかったことと思います。とはいえ、清純くんがそこに選抜されたことに変わりはありません。運も実力のうちですし、清純くんにはそこに行けるだけの技術的な実力も備わっていたということです。跡部くんや真田くん、柳くんを始めとする他校の選手のプレイを間近で見られる機会はどうでしたか? 新たな発見はありましたか? 昔を振り返ってみて、清純くんにとって実りのある日々であったなら私も嬉しいです。

 

清純くんが山吹中テニス部で迎える最後の夏、都大会では惜しくも決勝戦で星を取りこぼしてしまいましたね。清純くんの試合、何度も見ました。何度も読み返しました。何度も観に行きました。清純くんの試合を観ていると、貴方のテニスの戦略のひとつには、相手を自分のペースに飲み込んでいくというものがあるのかなと思います。フィッチを見事に当てて相手に自分の強運を実感させ、しかし得意のサーブ技である虎砲があるにもかかわらずサーブ権をあえて相手に譲り、特技を後出しで見せつけることによって相手のペースをじわじわと乱していくのが清純くんの戦法なのでしょうか。わざわざサーブ権を譲ったり、こういう「余裕」のあるゲームメイクができるのは、自分の実力への自負があるからこそだと思います。しかし時にそれは慢心へと繋がります。油断はしていませんでしたか? 年下の相手だからと見縊ってはいませんでしたか? そういう気持ちがまったく無かったとは言い切れないんじゃないかな、と私は清純くんの試合を思い返す度に感じてしまいます。それと同時に、清純くんがこの日の自分の敗北をどう受け止めたのかがとっても気になります。舞台の上にいた清純くんは、対戦相手や私たちに背を向けて握り拳をつくり、後ろから見ても頬が震えているのが分かるほどに歯を食いしばって、その上(これは後から知ったことですが)泣きそうな顔をするほど悔しがっていましたね。都大会の後のショートライブの『輝け、もっと』の始めでも、悔しそうにラケットを握る清純くんの姿が印象的でした。対して紙の中にいる清純くんが試合が終わって桃城くんに背を向けた時の表情は至って普通、ともすれば飄々としている風にすら見えます。相手に背を向けた、他人からは見えない時の表情が気持ちの表れだとするなら、紙の中にいる清純くんはこの時の敗北をそこまで重くは受け止めていなかったのかなと思います。ここで負けても次がある、準優勝でも次のステージ、関東大会には進めますから。“なんとなく心の片隅に「明日も同じ試合をする」という気持ちがあった”、これは三番目の清純くんである森田くんが自分の試合を振り返った時のコメントですが*1 、もしかしたら都大会の頃の清純くんも、それに近いことを思っていたのかもしれませんね。舞台の上で青学が氷帝と戦っている時、山吹のみんなは碇中と戦いながら「もしも負けても 次回勝てばいいさ」と歌っていました。誰かの負けはチームでカバーという山吹中テニス部の仲の良さや団結力の表れでもあり、同時にこれは清純くんのみならず、山吹中テニス部みんなの「勝利への執着の欠如」の表れでもあったのかなと思います。清純くんには、清純くんたちには、青学の選手のように負けるのは嫌だと叫びたくなるほどの渇望がありましたか?

 

 

 

紙の中では窺い知れなかったことも、舞台の上では何かしらの感情が垣間見えることがあります。私は亜久津くんにテニスを「つまんねぇ」と言われた時の清純くんの表情が、怒りとも絶望とも取れる色んな感情がごちゃ混ぜになったあの表情が忘れられません。私はその光景を何度も何度も、その度に胸が締め付けられるような思いを抱えながら、客席から清純くんの姿を見つめていました。あの時の清純くんの気持ちは一体どんな色だったのでしょうか。「あれだけ凄い試合をしておきながら何を宣うのか」? それとも「自分たちの大事なテニスを侮辱されたような気がした」から? これは清純くん自身にも分からないことなのかもしれませんね。いつかどこかでその時のお話を聞ける機会に恵まれたらいいなと、淡い期待を胸の奥に沈めておくことにします。

 

 

 

話を戻して「勝利への執着の欠如」、果たして本当に山吹中テニス部のみんなは「もしも負けても 次回勝てばいいさ」と思っていたのかと、私は疑問に思っています。「負けること」を深くは知らないだろう清純くんは、否清純くんのみならず山吹中の選手たちは、心の片隅で自分が負ける可能性がどれぐらいあるのかを真剣には考えていなかったのではないのか、言ってしまえば楽観視していたのではないかと私は思ってしまったのです。というのも、清純くんたち山吹中の戦績を振り返ると全国大会で名古屋聖徳に負けるまで、碇戦の室町くんの棄権と聖イカロス戦の錦織くんの敗戦を除いては、私たちも知っている(物語のある)学校や選手にしか敗北を喫していないのです(相手選手の棄権などもありましたが)。流石に当事者である清純くんたちはそこまで細かなことを覚えていないかもしれないけれども、実はそうなんですよ。貴方たちはとっても強いんです。だからこそ、自分たちが負けた時にどうなるのかということを考えることはあまりなかったのかなと、それ故に勝利へのビジョン、勝つためにどうすればいいのかということを(個人個人ではなくチームとして)真剣に考えることもなかったのかなと、勝手に推測してしまいます。山吹は青学に負けた後、もう一度不動峰に負けてしまいましたが、この時にダブルスの地味'S……もとい南東方ペアは唯一白星を上げました。この二人は前回の敗北、青学の黄金ペアに敗北した理由のひとつに、昔大石くんのペアを負かしているというところからくる油断(慢心)があったことに自分たちで気付いて、もう一度堅実なテニスを組み直した結果不動峰という強敵から勝利をもぎ取ることができたんじゃないかな、と私は思います。清純くんはどうでしたか? 桃城くんに負けた時、何かを感じて何かに取り組むことはありましたか? でも、清純くんにとってのターニングポイントは桃城くんへの敗北ではなく、神尾くんに付けられた黒星の方だったんですよね。

 

「もっかい一から自分のテニスを変えようと思ってます ……勝つために!」

 

都大会の時にも登っていたような休憩所の屋根の上で、清純くんは伴爺にそう宣言していましたね。年下の選手によってもう一度舐めさせられた敗北という辛酸は、その身によっぽど応えたのでしょうか。見えている神尾くんの打球に身体が追いつかなかった瞬間は、テニスプレイヤーとしてさぞ悔しかった瞬間だと思います。分かっているのにできない。そこにボールがあるのが見えているのに返球できない。自分の実力がまだまだであることを思い知らされた正にその瞬間、清純くんは何を思ったのでしょうか。そして勝敗を分けた最後の一打を清純くんが捉えきれなかったのは、序盤から動き回って走り疲れた相手はそろそろへばる筈という予測、この予測は結果として清純くんの胸の中にある油断であったのかなと、試合を振り返る時の私は考えてしまいます。相手の粘りに負けてしまった自分の思惑。私には清純くんの気持ちを推し測ることしかできませんが、ここであと少しこうしていれば、という後悔がほんの少しでも頭を霞める日があったのかもしれませんね。思えば都大会のオーダーでは、清純くんの負けが直接山吹の敗退に繋がるということはありませんでした。亜久津くんと室町くんが勝てば山吹は優勝、チームで勝てればそれがみんなの勝ちでした。しかし関東大会では、清純くんがS2で敗北したことによって山吹の敗退も決定づけられてしまいました。次勝てばいい、誰かが勝てばいい、その「次」とは一体いつなのか、「誰」とは一体誰なのか。エースと謳われ頼りにされてきた自分の黒星によってチームが先へ進めなかったという結果は、色々と考えさせられることが多かったのでしょう。”(前略)もう二度と試合ができないと思うと、負けた瞬間にものすごく悔しさがこみ上げてきました。これが「負ける」ってことなんだなと、そこではっきり分かった(後略)”、これは三番目の清純くんである森田くんの、先に挙げたコメントの続きです。清純くんも関東大会の2回戦で負けて、負けたら次は無い、もう試合ができないかもしれないということを、負けることの悔しさを身をもって知ったのかもしれませんね。氷帝と戦う青学が「もしここで負ければ もうこの大会では戦えない そんなのは嫌だ」と歌っているあの必死さの意味が分かった瞬間でもあったのかもしれません。全国へ駒を進められることを知った時の安堵や喜びは、計り知れなかったことかと思います。敗北を経験して、まだ自分にはやるべきことがある、テニスプレイヤーとしてもっと上を目指したいと思って決意を新たにした清純くんの横顔は、どんな時よりもカッコよかったです。ここで神尾くんに付けられた黒星は、清純くんにとって桃城くんへの敗北よりも意義のあるものだったと思います。そんなことはわざわざ私が言わなくても、清純くん自身が一番感じていることですよね。

 

 

 

自分のテニスを一から変えようと思うほどの覚悟を抱えて、清純くんは誰かと、あるいは独りで特訓に挑んだことと思います。決してそれまでが不真面目にテニスに取り組んでいたという訳ではないと思いますが、この時が一番、清純くんがテニスに対して摯実に向き合った時期なのかなと、私は勝手に想像しています。汗を流してテニスと向き合う日々はどうでしたか? もっと試合がしたかった、もっとテニスがしたかったですか? 改めてテニスと向き合って、自分の中のテニスへの情熱を呼び起されて、今更自分の中にあるテニスへの気持ちに気付いたってもう遅いと、月の綺麗な夜にひとり哭く夜もあったのかもしれませんね。そんな日があったから清純くんは、あの日の公園でたまたま遭った亜久津くんに救いの手を差し伸べたのかなと思っています。

 

紙の中の清純くんが同じクラスの亜久津くんに関して訊かれた時に、亜久津くんの一番仲の良いクラスメイトを「まあ、俺になるのかな?」と答えていたのを覚えています。対して舞台の上の清純くんが亜久津くんをどう思っているかを訊ねられた時に、咄嗟に口から出たのは「あんまり好きじゃない」という言葉だったというエピソードも聞いたことがあります。きっとどちらも清純くんの本当の気持ちなんでしょうね。10年に一人の逸材とも言われる身体能力に恵まれた亜久津くんが自分たちと同じ選手としてテニス部にやって来た時、清純くんは何を感じたのでしょうか。彼がテニス部を去った後も彼のラケットを自分のラケットバッグに入れていた清純くん*2は、亜久津くんにテニスを続けてほしかった、亜久津くんがテニスの世界に戻ってくることを心の何処かで諦めきれなかったから、ずっと彼のラケットを持っていたのかなと私は思っています。亜久津くんが山吹中テニス部にやって来た後、部員の誰一人として彼に勝てなかった、またはそれを察して誰も彼に勝負を挑まなかったのは想像に難くないです。それぐらい彼はテニスが強かった。清純くんが舞台の上で越前くんと試合をする亜久津くんの姿を見据えながら、「でも、負けないよ」と呟いた*3日のことを、私はどうやっても忘れることができません。たとえ亜久津くんのことがあんまり好きじゃなくても、「亜久津は絶対に勝つ」と思っていたんですよね。チームメイトとして、あるいはひとりのテニスプレイヤーとして、彼の勝利を信じていたんですよね。そこにあるのは期待や憧れだけでなく、綺麗なだけじゃない羨望や、溢れんばかりの嫉妬や悔しさも含まれていたと思います。「努力・運・実力・ツキ」、そこに含まれない、自分には無い「才能」を持っているにもかかわらず、テニスのことをどうとも思っていない亜久津くんのことを清純くんはこの数ヶ月、どんな思いで見つめていたのでしょうか。伴爺から海外留学特待生への声がかかったのが自分たちではなく、テニスを「つまんねぇ」と一蹴して部を去っていった亜久津くんだったことも清純くん(や部長の南くん)が知らない筈が無いですし、私は清純くんが亜久津くんのことを「あんまり好きじゃない」と言うのは至極当然のことだと思います。好きじゃないですよね。面白くないですよね。自分の方がテニスを続けているのに、俺の方がテニスを好きなのにと思ってしまった瞬間は、清純くんのみならず他のみんなの胸の内でも、数え切れないほどあったことでしょう。

 

そんな彼が独りで素振りをしているところを、清純くんは都大会の後のショートライブで目撃していましたね。興味ないだのと言っていたのにまるでテニスが忘れられないような亜久津くんの姿を見つけた清純くんは、彼に声をかけるでもなくただ笑ってその場を後にしていました。その後同じ場所に現れる山吹のチームメイトの面々に一番最後に合流した清純くんが、メンバーを見渡した後にやれやれと言いたそうに笑っていたのは、そこには既にいなかった亜久津くんのことを、テニスがしたいと思って体が動いてしまうほどなのに素直になれない亜久津くんのことを思って笑ったのでしょうか。彼の中に燻ぶるテニスへの思いを覗き見たから、気が付いたから、知ってしまったから、清純くんはあの日の公園で亜久津くんに声をかけて、テニスについてを語らったりしたのかなと思います。でも亜久津くんが再びテニスを始めたら、自分のライバルや立ちはだかる壁になるのはおろか、類い稀なる運動神経をもって手の届かないところまで飛んでいってしまう可能性は、清純くん自身もきっと何度も考えましたよね。それでも清純くんが亜久津くんをテニスの世界に連れ戻そうとしたのは、嫉妬とか羨望とか選手としての自分の立場が危うくなるとかそもそも亜久津のことはあんまり好きじゃないんだけどなあとかそういうごちゃごちゃしたことは置いといて、兎に角俺は亜久津みたいな強い奴にテニスをやってほしい!というテニスそのものを愛する気持ちが、清純くんの中に強く存在していたからなのかなと思っています。その気持ちに気付いたのはいつでしたか? 神尾くんに敗北した後、自分のテニスを見直しながら色んなことを思ったりしたのかなと、私は描かれることのない清純くんの季節に思いを馳せています。誰が言ったか「亜久津の気持ちはアイラブテニス」、でも夏目漱石に擬えて「今夜は月が綺麗だなぁ」と独り言ちたのは、他の誰でもない清純くんですよね。自分の愛するテニスを他の誰かにも好きになってほしいぐらい、テニスが好きなんですよね。清純くんのテニスへの思いも、亜久津仁という強い選手をもう一度テニスの世界へ連れ戻したきっかけのひとつなんだと私は信じて疑いません。亜久津くん本人がそれを自覚しているかはさて置き。でも清純くんは亜久津くんがどう思っていようと、あるいはどうとも思っていまいと、亜久津くんがもう一度ラケットを握るようになったという事実があれば、そんなのはどうでもいいのかもしれませんね。

 

「つまんねぇ」と言われた時に絶望のような表情を浮かべた清純くんが、亜久津くんがショートライブで『24/365』を熱く歌い上げる姿を見て、あるいはU-17の選抜合宿で彼がテニスを出来る喜びを感じている姿を見て、やっと彼に対して笑顔を向けられるようになったのかなと、ショートライブの『ニュー・ウェーブ』のイントロを歌う清純くんを見つめながら毎回思っています。「あいつにも 笑顔向けよう」。山吹中テニス部には戻らなかったけれど、テニスの世界にもう一度足を踏み入れてくれたとっても強い元チームメイトに笑いかける清純くんの姿を見て、清純くんの中の何かが報われたのならいいなと思いました。亜久津くんがテニスの世界に戻って来て、案の定、U-17の日本選抜に選ばれたのは清純くんではなく亜久津くんでした。100%素直に喜ぶことはできなかったと思います。でもそれでいいんだと思います。100%素直に喜ぶことができないくらい、清純くんはそれぐらいテニスが好きなんですよね。

 

 

 

清純くんは、テニスを好きになれてよかったですか? 清純くんは関東大会の頃に「今までで一番ラッキーだったこと」を訊かれて、「ヤマを張って勉強したら大当たりした中学受験」と答えていましたね。でも同じ質問を全国大会も終わりの頃に訊かれた時には、「テニスとの出会いかな、汗をかく楽しさを知ったのはテニスのお陰だよ」と答えていました。自分のテニスを一から見直す中で、見えてくるものが(それは技術面に限った話ではありません)沢山あったのでしょうね。山吹中テニス部で送った最後の夏は、清純くんと清純くんのテニスにとって、何よりも大切な夏だったと思います。

 

私はテニスが大好きな清純くんが大好きです。女の子が大好きな清純くんも、ライブ会場のステージの上でアイドルみたいに輝く清純くんも好きだけど、やっぱり試合を観ている時の真剣な眼差しや、コートの上でラケットを握っている時の生き生きとした姿が、私は一番大好きです。9ヶ月前に清純くんの試合を観ることができて、今こうして清純くんについてを沢山振り返ることができて本当によかったです。漫画の中や画面の中の世界しか知らなかった私をテニスの王子様というありとあらゆる世界を持った作品と出会わせてくれたのも、紙の中の貴方が亜久津くんをもう一度テニスの世界へ引き込む手助けをしたように、私をもう一度テニミュの世界に誘(いざな)って、数え切れないほどの絶景を見せてくれたのも清純くんでした。楽しい世界をいっぱい見せてくれてありがとう。客席から見える綺麗な景色を、それを誰かと共有できる喜びを沢山味わわせてくれてありがとう。私は、清純くんを好きになれてよかったです。

 

都大会や関東大会の頃には「テニスは楽しく」だった山吹中のモットーも、全国大会の頃には「楽しくて勝てるテニス」に変わりつつあると風の噂で聞きました。これからも大事な仲間たちと汗を流し競い合いながら、精一杯テニスを楽しんでください。願わくは、清純くんの活躍をまた何処かで見られる日が来ますように。

 

 

 

2016.11.25 一部加筆修正

 

*1:3rd氷帝公演パンフレット:当然ながらこれは森田くんが公演に対して手を抜いていたという意味ではないと思います

*2:https://twitter.com/_hangoor/status/751050143600775169 新テニ102話:メタ的な発言をすればこれは許斐先生ないしアシスタントさんのうっかりミスという可能性の方が大きいですが、しかし漫画になってしまった以上これはテニスの王子様の物語の中の現実なので私はこの事実を推します

*3:https://twitter.com/_hangoor/status/699933589270495233

逃げ(られ)ない人々

 

シン・ゴジラを見ました。ほんの些細な感想、過去に自分の身に起きたことと重ねた感想のようなものを書きたかったのですが、ツイッターでやるとネタバレになってしまうのでこちらに書きます。しかし映画本編に関してはあまり触れていません。

 

 

 

 

 

 

 

 



映画を見ていた時に、隣に座っていた母がこっそり耳打ちしてきました。「私だったら東京を離れるのに」。確かゴジラ(のようなもの)が一度東京湾へ還った後の、平和的なBGMとともに流れる、ごく普通の日常が一時的に返ってきた風景のシーンでした。映画を見終わって、家族で昼食を取っている時にももう一度母は「私だったらあんなのが東京湾から出てきた時点で東京から離れられる限り離れるけど、一度ゴジラが還った後もみんな(=一般市民)は逃げないんだね」と言ってきたので、私は「思い出してよ、311のときだってみんな東京を離れなかったでしょ」と返しました。

 

 

 

311が起こったその時、私は大学のサークルの合宿で岩井の海岸から200メートルの宿舎に居ました。外部の先生を招いての練習中だったこともあり、地震の度にドアや窓を開けたりしながらも私たちはのんびりと練習を続けていました。休憩時間に部屋に戻ってテレビを点けたところ、市原市のコンビナート火災の映像が流れていました。合宿という非日常の中に居たこともあり、その時の私(私たち)は事の重大さにあまり気が付いていなかったように思えます。その夜は停電もしましたが、宿舎の方が尽力してくださったお陰で大きな不自由に見舞われることもなく、翌日になっても電車が動かなかったためとりあえず予定通り打上げをしようと、近くのスーパーなどに買い出しに行ったりして、いつもの合宿と同じようにもう一晩を過ごしました。打上げの後片付けで疲れ果てて入浴もせず先輩たちと眠っていた私が起きたのは翌朝7時、携帯を見ると何十件もの着信履歴が。すべて母親からの電話でした。慌てて折り返すと「○○!何処に居るの!?何してるの!?もう電車も動いてるんだから早く帰ってきなさい!貴方だけじゃなくて他の子も電車が動いてるうちに帰りなさい!外房線なんていつ止まってもおかしくないんだから!他の親御さんだって心配しているでしょう!他の子が帰らないなら貴方だけでも帰ってきなさい!」と捲し立てられました。幹事長にその旨を伝えたところ「今すぐ帰ったところでどうしようもない子だっているからサークルとしては予定通り午後イチで帰る」と言われ、一足先に帰ることになった私はたまたま車で来ていたOBの先輩に近くの駅まで送ってもらいました。家に帰って早々母親から告げられたのは下関の親戚宅への避難、いわゆる「疎開」の命でした。「ここはホットスポットから遠くないし原発だってこれからどうなるか分からない、計画停電も始まって物資も手に入りづらくなるかもしれない、お父さんは仕事があるしお母さんも一緒に此処に残るけど、貴方たち(私と当時高校生の弟)だけでも逃げなさい」。結局私はサークルの仕事のために一週間で東京に帰らざるを得なくなったのですが、弟は始業式の前日まで下関に避難していました。母親としては私にも帰ってきてほしくなかったようですし、私が帰ってきた日(雨だった)の翌日に「昨日の雨が放射能物質を吸って落ちてきてたかもしれないんだって、せめて貴方が帰るのを一日でも遅らせればよかった」と漏らしていたのをとてもよく覚えています。

 

 

 

映画を見た母親は「あんな得体の知れないのがまだ東京湾周辺にいるかもしれないなんて怖くて東京で暮らせないよ」と言いました。311を振り返る時の母親も「だって放射能とか風向きによってはこっちに飛んできてたかもしれないんだよ、(子供を疎開までさせたのが)大袈裟だって言われるけどみんなあの時放射能とか怖くなかったのかな、私は本当に怖かった」と言います。私は今となってはこの話を半分笑い草として語っていますが、シン・ゴジラを見て「あ、」と思ってしまったのです。ゴジラ東京湾から現れて、少なくない被害を出しながらも一度海に還り、ああ災害は終わったのだと安心していつも通りに暮らしていた映画の中の東京都民は、311の時にとりあえず地震もひと段落したようだしと合宿先でのんびり打上げをしていた私だったのかもしれないと。電車が動き始めても「動いているうちに早く帰ろう」とはしなかった他の子や、そういう連絡をしなかった他の子の親たちなのかもしれないと。結局その合宿の時に予定より早く自宅へ帰ったのは、私と私に付き合わされた当時の彼氏だけでした。しかし幹事長が言った「今すぐ帰ったところでどうしようもない子だっている」というのも事実で、私にはたまたま避難できる場所や避難させてくれる人がいただけなのです。当時学生だった私はたまたま春休みで避難できる環境にあっただけなのです。日本の社会の機能が動いている限り社会人は休むことが(基本的には)できませんし、実際311の時も父と母は未曾有の大災害の後も東京に残る選択をするしかありませんでした。斯く言う私も、サークルの仕事のために結局一週間で東京へ帰ってきました。確かに私は一時的に避難したけれど、私だって「逃げられなかった」人間の一人なのです。


一度ゴジラが還った後に避難せず普通の日常を送る人々の姿を見て「何故逃げないのか」と思った人のうち、果たして何人が、本当に未曾有の大災害に襲われてそれが一度鎮静化した時に避難行動に移ることができるのだろうか。それはきっと映画の中と同じなのだろうなと、私は思います。中にはただの平和ボケで逃げない人もいるだろうけれど、「避難というのは、疎開というのは生活を捨てさせることだ」というような台詞が劇中にもあったとおり、私たちは生活を捨てられない。ほんとのほんとに死の間際にならないと、逃げられない。

テニモンでいられるという贅沢

 

11年前の今日、私は初めてテニミュを観に行った。

 

 

テニミュを観に行ってから個人的な10周年だった1年前、私はテニモンではなかった。1stシーズンの最期に立ち会えずテニモンを下りたまま2ndシーズンでもテニモンに戻れなかった私は、そのまま3rdシーズンに突入した。テニミュってお金かかるし、でもテニスの王子様が好きだからこのまま細々とテニミュを観続けて、もしかしたらそのうちやって来る氷帝公演でテニモンに戻ったり戻れなかったりするのかなあと、どの道3rdシーズンは最初から最後までテニス者として見届けるつもりではいた。

 

sdppp.hateblo.jp


それがこのザマである。クリスマスの夜にTDCの中心で号泣かましたテニス者はあれよあれよとチケットを増やし、遠征はしない主義だからと山吹チムライとドリライの東京横浜を全通し、挙げ句の果てには先日の縦断イベント福岡で初めて遠征した。遠征しないとは何だったのか。良席に喜んだりファンサに沸いたりうっかり映像に写り込んだり自宅で一人黙々とシャカリキファイトブンブンの全振り付けを覚えたり、今の私は完全にテニモンだ。

 

 

 

テニモンになってから色んな人と会った。出会ったと言うよりも「会った」と言う方が正しい。山吹公演はチケットが手元に1枚も無い状態で公演が始まったので、友達と観た最初の1公演目を除いて、チケットを譲渡してくださった方とご一緒させていただくことはあっても昔からのオタク友達やフォロワーと一緒に観に行くことはなかった。でも会場に行けばフォロワーがいた。一緒に食事をさせていただいたこともあった。皆が皆、テニスの(テニミュの)話をしていた。チムライも気が付けば4公演とも誰かしらと一緒に参加していて、ドリライも何公演かはフォロワーと一緒に観たり、公演前後にお話してもらったりした。楽しかった。公演自体もそうだけれど、他のオタクと大好きなテニスの王子様についてああだこうだと話せるのが楽しかった。

 

2次元寄りのオタクジャンルは多くの場合、自宅から出なくても活動ができる。テレビがあればアニメは見られるし、漫画だってこのご時世本屋まで出向かずとも通販すれば入手できる。他の人の感想や二次創作も、ネットにアクセスすればいくらでも転がっている。交流だってそうだ。ツイッターが流行っている今、他者との交流も(一長一短はあると思うが)呟くように手軽に楽しめる。身形を整えて化粧をする時間も、綺麗な字で文章を認める手間もかからない。しかしテニミュを観るためには自宅から出なければならない。公演終了から数ヶ月後に出る映像化されたものを自宅で楽しむ方法もあるが、生で観る迫力に勝る媒体は存在しない。テニミュを楽しむためには暑い中、寒い中、足元が悪い中、外に出なければならない。同じように外出しなければいけないものに、テニスの王子様ならテニプリフェスタ、他のジャンルでも声優を中心としたイベントなどがあるが、これらは精々数年に一度のお祭りごとだ。だからこそうんと激しく盛り上がれるのだけれど、そういうイベントに他のオタクと会って「交流する」機会や要素を求めようとしたならば、数年に一度では少ないように思える。

 

テニスの王子様にはテニミュがある。夏と冬の本公演に加えて、その間にはコンサート形式の興行などがある。チケ取りも含めれば、一年を通して「テニミュ」の何かしらがある。「ハレ」の行事がたくさんあって、会場に行けば他のテニモンやテニス者に会える。それ以外のところでわざわざ会うような関係までなれる人はそのうちのほんの数パーセントかもしれないけど、会場に行けばフォロワーが居て、私が居るのを知ったフォロワーが声をかけてくれたり、たまたま遭ってそのまま話してくれたりする。典型的インドアタイプのオタクの私にとって、部屋の外の世界に出させてくれるテニミュの存在はかなり大きいし、テニミュを観るタイプのテニスのオタクにとって、テニミュという形で他のオタクと会う機会を(他の一般的なオタクジャンルと比べて)頻繁に与えられているのは、この上ない贅沢だと思う。「書を捨てよ、町へ出よう」とは寺山修二の言葉だが、テニミュが私に教えてくれたのは「漫画を抱えよ町へ出よう」ということだった。

 

テニス者だからと言ってテニミュを観に行くとは限らないが、同じようにテニス者だからといって嗜んでいるとは限らないものに同人活動がある。テニミュと同じように夏と冬+αで即売会という名のイベントが開催される同人活動。しかし即売会は同じファンでも机の向こうとこちら側、作品を生み出す側とそれを享受する側にはっきりと分かれてしまう。テニミュは違う。そもそもテニミュ同人活動を同じ土台の上で比べること自体が間違っているのは百も承知だが(しかしテニミュを公式メディアによる一種の二次創作のようなものと例えるファンもいる)、テニミュの前ではみんなが等しく観客である。テニスの王子様の漫画を読むように、みんながテニスの王子様の舞台を享受する。テニスの王子様を観てあれがいいこれがよかった、この演出がどうだあの台詞の読み方がそうだと思い思いに話し合う。そんな機会を年に何度も与えてくれる「テニミュ」というコンテンツがあることは、テニスの王子様のオタクとして誇らしく思えるほどに素晴らしいし有り難い。他のオタクと交流する楽しさを教えてくれたテニミュにもう一度ハマることができた私は、今もこうして色んなオタクと交流している。テニモンじゃなかった頃にも会ってくれる人はいたけれど、テニモンになってからの方が圧倒的に多くのテニス者と会うことができている。テニス者としてテニミュを観に行けることは、テニモンでいられるということは途轍もない贅沢だ。

 

 

 

12年前に千石清純に連れられてテニスの王子様と出会った私が、紆余曲折を経て12年後も千石清純の姿を追い駆けていることを知ったら喜ぶだろうし、11年前にテニミュと出会った私が、11年後の夏も氷帝公演を観ていることを知ったらきっと大笑いするだろう。会場は青年館ではなくなってしまったけれど、私は今年の夏も総武線に乗ってテニミュを観に行っている。あの頃よりもうんと多くのテニスの王子様を愛する人たちと話したり遊んだりできている。去年のクリスマスからの7,8ヶ月を振り返ると、テニモンに戻れてよかったなあと心の底から思う。

 

テニミュが取ったラッキー千石コールへの救済措置

 過激原作原理主義テニモンの個人の感想です

 

 

DreamLive2016の大阪公演を観たフォロワーが、「『ラッキー千石』の時に山吹の子が後ろでコールしてるの何て言ってるんだろう、どうせなら私もコールしたい」という趣旨のことを呟いていた。横浜のみの参加の私も、その時点では詳細は分からなかったがキャラクターと一緒にコールしたい点はとても肯けたのでRTしたような記憶がある。横浜公演に参加して、あのツイートで言われていたのはこのことかと知ることになったが、何をコールしているのかは私も一発では聞き取れなかった。何故ならそれが行われるのは千石が歌っている最中だったからだ。同じようにドリライオリジナルで行われるコールでぱっと思い浮かぶものに木手ソロ曲『俺は殺し屋と呼ばれる男』の「俺らの部長は卑怯者!」などがあるが、これは木手がワンフレーズ歌い終わった後に比嘉の子がコールする形になっている。しかし今回のラッキー千石の「いいぞ!いいぞ!ラッキー千石!」は「♪ゲームに勝つためには」以降のフレーズに被せるようにしてコールしている。キャラクターが歌っている最中にわざわざコールする曲が、テニモンに返り咲いたばかりの私のうろな記憶では他には思い浮かばない。山吹の子が後ろでポンポン持ってラインダンスをしているだけでも充分可愛いのに、果たして曲を遮ってまで他のキャラクターにコールをさせる意味があったのだろうか。

 

 

ドリライ版ラッキー千石の曲中でキャラクターではなくキャストの名前が叫ばれるのは、初めて曲が披露された2ndシーズンから既にそうだった。その時のキャストの名前が「せいや」でキャラクター名の「せんごく」「きよすみ」より曲に合わせてコールしやすく、そして3rdのキャストの名前も響きのよく似た「とうや」であったがためにそのまま慣習として引き継がれたと考えるのが妥当なところだろう。テニモンに戻ってから、いずれ来たるドリライでほぼ確実に歌われるラッキー千石のことを考える度に、「せいや」コールならぬ「とうや」コールはまず覆らないだろうと覚悟はしていた。実際その方がうんと叫びやすいので私も叫ぶとしたらそちらの方がいいのかもしれないと、「私が推してもないキャストの名前をコールしたとしてもそれは彼が最高の千石キヨスミを見せてくれたことへの感謝の意味であって決して何も考えずに響きとかノリを重視してコールする訳じゃない……」と自分で自分を納得させようと何度も試みたが、結局私が会場でキャストの名前をコールすることは一度も無かった。テニスの王子様が好きだからテニミュを観に行く原作原理主義テニモンの私は、最後までテニスの王子様の名前である「キヨくーん!」コールで通したのだった。

 

今やひとえにテニミュファンと言っても、原作よりも若手俳優コンテンツとしての側面を重視するファンも少なくないだろう。それに若手俳優のファンの人はその役者本人を見に来ているのだから、度を越さない限りは*1 思う存分推しの名前をコールした方がきっと推しだって喜ぶ。原作はまったくもって知らないけど若手俳優推しているようなテニモンが、役の名前を已む無く叫ぶ姿というのもそれはそれで見たくはないので(私は何かを全力で愛する人間が好き)、そういう人にはどんどん適度な範囲で推しの名前をコールしてほしいと個人的には思っている。しかしラッキー千石でキャスト名をコールしている人の大多数が本当にそのキャストを「推している」訳ではなく、ただなんとなく響きの良さでキャストの名前をコールしているだけなのは明々白々だ。コールなんて個人の自由だけど、それでも「千石清純」が好きでドリライのあの場所に居た私は、千石清純が名前をコールされないあの場にいるのが辛かった。テニモンに戻ってからドリライまでの数ヶ月間、まあ「とうや」コールだろうなと相当な覚悟をしてきたにもかかわらず、一番思い入れのあるキャラクターの千石清純を目の前にして「とうや」コールの渦中に居るのは想像以上に辛かった。仕方のない現象だとは充分に理解しているし、ファンでもないのにキャスト名をコールした個人のことを批判する気はさらさらない。私だって普段から「キヨくん」呼びはしてないし、それを踏まえればどう考えたって「とうや」の方が叫びやすい。DreamLiveなんて結局は楽しんでなんぼだと思うし、色々考えるよりも頭空っぽにして叫びやすい方を叫んだ方が楽しいに決まってる。ただそれが、テニミュのステージに向かってキャラクターではなくキャストの名前がコールされるという現象が集団レベルで発生して、それが当たり前のこととして成り立っているから辛いのだ。誰が良いとか悪いとかではなく、たまたまその現象の対象となってしまった千石清純というキャラクターを好きな私が辛いだけの話なのだ。だから「俺の名前を呼べ」「俺の名前で呼ばしてやる」とキャラクターから歌われて、それに答えるように「裕太ー!」と思いのままに叫べる裕太ファンが心底羨ましかったし、私も思いのままにルドルフの子と一緒に裕太の名前を叫んだし、原作ファンとしてはあの瞬間が一番至福の時だったのかもしれないとすら思う。

 

 

 

ここでドリライ参加前に見つけた、ネルケの松田さんのインタビュー記事の存在を思い出した。

 

──お客さんはどんな人たちでしたか。
 初演当時は原作のファンが一人で来るパターンが多く、劇場に来たこともミュージカルを観たこともない人が多かったと思います。有名な役者は出ていないわけですから、役者のファンはいませんでした。そういう原作ファンが受け入れてくれたわけです。
 でも想像しないことも起きました。お客さんが舞台の見方を知らなくて、キャラクターのファンだから例えば手塚が出てくると「手塚!」と叫んだり、名前を書いたボードを振りかざしたり。好きなキャラクターのコスプレもしてくる。コスプレは気が散るとか、ボードで舞台が見えにくいとか、ミュージカルなんだから声をかけるなとか、ファン同士で論争になった。役者もやりづらいというので、ホームページを使ってルールを周知しました。
 コスプレ禁止、声かけ禁止、ボード禁止。静かに見ましょう、と。みんないいお客さんですから、約束を守ってくれたのですが、それを見ていたらなんだか可哀相になって。これも不健全だと感じたので、舞台に出演している役者たちによるコンサートを始めました。ミュージカルで言うガラコンサートです。舞台を春と冬にやるとしたら秋にコンサートを開く。この時は「手塚~」「リョーマ~」と叫んでいいので、思いの丈を伝えて発散してくださいと。

 

 

お客さんが彼らの名前を叫んでいい、思いの丈を伝えて発散していい場所、というのがドリライが生まれた理由にあると松田さんは仰っている。この記事を思い出しながらドリライ2016のラッキー千石のことを振り返ると、確かにキャスト名のコールが殆どであった瞬間もあった。しかしあの場で私たちはしっかり、会場が一体となって千石清純というキャラクターへのコールを行っていたのだ。いいぞ!いいぞ!ラッキー千石! 最初の頃こそ聞き取れなかったけど、聞き取ったテニモンやそれを知ったテニモンが会場でコールすることによって、ラッキー千石コールはドリライの中で着実に広まっていった。私だって山吹中2年女子の気持ちでアイドルのように一方的に慕っているキヨスミ先輩へのコールを全力で叫んでいた。あの瞬間パシフィコ横浜に居たのは、コールを貰うキャストの意識としてもコールを叫ぶ観客側の意識としても、あの瞬間ステージに立っていたのは間違いなく千石清純だった。――ということにドリライが終わって一週間経ったあたりで気が付いて、キヨスミを追い駆けているテニモンの私は少し、否かなり救われたのだ。実際に興行側があのコールに対してそこまで考えているかどうかは問題ではない。少なくとも一人のテニモンが、3rd初のドリライであのコールが与えられたことによって救われたし、キャスト名コールに対して頭を抱えている同じようなテニモンが、これに気付いて少しでも気持ちが晴れればそれでいいと私は思う。

 

 

 

*1:キャスト名の前に「超絶可愛い!」などのフレーズまでもを付けてコールするのは流石にルール違反というか、舞台のガラコンサートを観に来ている以上観客としての品位に欠けている行為だと思う

私が思うテニモンの定義

askに届いた質問にノリノリで答えていたところ余裕で字数制限に引っ掛かったので自分語りを含めた全文版をこちらに掲載します。

 

【質問】すどうさんはどういった定義でテニモンという言葉を使ってるんですか?

 

初めて届いた質問がこれだったのでかなり嬉しいです。ありがとうございます。

「テニモン」という言葉は元々テニミュ携帯サイトのテニミュ・モバイル(テニモ)が始動した頃に、当時の跡部役の久保田さんが「テニモン(テニモ会員)の皆さん」という使い方をしたのが始まりなんですが、それが現在の「テニミュのファン」という広義の意味で使われるようになるまでは割とあっという間だったと思います。ネットスラングとかもそうですよね。壁ドンという単語も本来は少女漫画のワンシーンあるあるではなく、隣室の住民が五月蝿い時に壁を殴って抗議するとかの本当に壁をドンと殴るという意味でしたし。このテニモンという言葉、当時友達と「テニモンの「モン」ってこれ実はモンスターの「モン」なんじゃね?くぼた上手いこと言うな~www」と笑いながら私たちは自ら進んで使っていきました。そういうテニモンも多かったんじゃないでしょうか。最近流行りの「沼」という単語といいオタクは自己卑下が大好きですからね。

 

閑話休題。私が思う「テニモン」の定義ですが、端的に表せば「テニミュのファン」であり、もう少し深く突っ込めば「テニミュそのもののファン」のことだと思ってこの単語を使ってます。テニスの王子様が好きでテニミュを観に行っているからと言ってもテニモンではない人だっているし、テニミュを観に行って円盤やグッズも買ってテニミュが大好きだけど原作やアニメの方はてんで知らないというテニモンオンリーの人だってきっと何処かにいらっしゃいます(後者は漫画アニメコンテンツよりも若手俳優2.5次元舞台が好きな方が多いのかな?このタイプのテニモンにあまり会ったことがないのでよく分からないです)。

実際に私が「テニモン」だった頃とテニモンじゃなかった頃、そして今テニモンに戻った時の話をしてみようと思いますがここはすっ飛ばしても大丈夫です。自分でこの記事を読み返した時にすっ飛ばしてみましたが普通に話通じたので本当に要らない自分語りです。

 


~飛ばして大丈夫エリア始~

私がテニミュに出会ったのは1stシーズンの関東氷帝戦夏、その前の5月頃に「テニミュっていうのがあって次が氷帝らしいからちょっと行ってみたいなあ」とブログに漏らしたのを、当時やり取りしていた3つ上の夢小説サイトの管理人のお姉さんが「よかったら一緒に観に行きませんか」と誘ってくれたのがきっかけでした。この頃の私の私生活の話はまたいつかしたいと思うのですが(するのかよ)、日々の生活に輝きや潤いがなかった私がテニミュにハマるのは至極当然のことでした。毎日公式HPに足を運び、座談会などのコンテンツが更新されるのを待ち、キャストのブログも全部学校別にブクマして寝る前に30分ぐらいかけてキャストのブログを回ってました。友人やオフ会で知り合った人たちにメルマガに登録してもらって(当時のテニミュの会員先行はメルマガ会員方式だったので)、大量の複垢を手にしてチケ取りに挑むその様は完全にテニモンでした。ただただ「テニミュ」が楽しかった。そんな私がテニモンでなくなってしまったのは、1st全国立海戦の頃がちょうど受験目前であまりテニミュに熱を上げられなかったのと、そこに止めを刺すように、大学入学後の部活の新入生お披露目会とDL7の日程が被ってしまい、あんなに私に色んなものを与えてくれたテニミュ1stの最期に立ち会えなかったショックから、私は持っているCDもDVDも、パンフレットやブロマイドも、果てはネット上にある動画の断片ですら一切触れることができなくなりました。軽いPTSDみたいなものです。この時にちゃんと整理しなかったブロマイドが未だに整理されていないので、一昨日手持ちのブロマイドをチェックした時に「この古川(4代目不二)いつのだよわかんねー!」ってなったからみんなブロマイドは買ったら次の公演が始まるまでにちゃんと整理した方がいいよ。私も3rd用のフォトアルバム買わなきゃ。

テニモンでなくなっても私はテニスの王子様が大好きなので、これまたmi○iで「2ndもそろそろ関東氷帝戦かあ行ってみたいけどチケット取ってないや(鼻ほじ)」と漏らしたところ、佐伯厨の子が「私○日行けなくなっちゃったからもしよかったらすーちゃん行かない!?私の友達と一緒に行くことになるけどそれでもよかったら!」と声をかけてくれたので有り難く譲ってもらうことにしました。PTSD発症して2年ぐらい経ったし、私がテニミュと出会った思い出の氷帝公演だし、テニモンであることが楽しいということを身をもって知っている私は、自分もそろそろテニモンに戻れるかなという期待を込めて、あまり慣れないTDCに向かいました。結果は散々でした。この日の跡部役と氷帝キャストの調子が最悪だったんです。キャラクターの解釈違いとかそういう問題ではなく、単純に舞台の上に立つ役者としてその日のコンディションが「たまたま」最悪だったんです。双眼鏡から覗く跡部の格好をした人はとても歯痒そうな表情をしていました。跡部景吾がベンチの上では見せないような歯痒い顔を。普段はきっとこんなんじゃない、というのがその日初めて2代目氷帝を目にした私でも分かるぐらいに最悪でした。同行者のお二人も「いつもはこんなんじゃないんだけどなあ……」と仰っていたので、ある程度テニミュに通っている人間なら誰が見ても最悪の公演だったのは間違いないです。たとえ普段はもっと良い跡部なんだろう、もっと良い氷帝なんだろうというのを頭では理解していても、目の前で私が見せられた跡部景吾氷帝レギュラー陣は散々なものでした。チケットも増やしませんでしたし、その後に開催された2nd初のドリライに行くこともありませんでした。私はこの日のアオキツネノリを始めとする2代目氷帝キャストをテニモンとして死ぬほど恨んでいます。あくまでもこの日の。実際この日にテニモンとしての私は二度目の死を迎えた訳ですから。「テニモンは一度テニモンになったらテニミュから離れられないんだよ」と言った佐伯厨の言葉を、テニミュが楽しいことを知っているのにテニモンに戻れなかった私がどんな思いで反芻したかなんて知りもしないでしょうし、キャストのコンディションが最悪だった所為でテニモンになれなかった観客というのが今後一切現われないように、キャストの皆さんには自身が出来る限りの万全の態勢で舞台に上がってほしいです。だからもりたとーやの女バレの下りであった3時間睡眠云々というのが女バレよりも何よりも許せないです。いや森田キヨスミは私をテニモンに戻してくれたというだけで充分すぎるほど最高なんですけどね。でも体力使うお仕事なんだしそれで安くない金取ってるんだから体調とかは万全にしないとダメだよ。

それでもテニスの王子様が大好きな私はまーた懲りずに全国氷帝戦の予習としてDL2013に行き、客席降りでたわ塚と2秒見つめ合ってしまったがために(これだけはいつもの妄言じゃなくて本当に目の前で見つめ合った)写真を買い、この日の跡部役はちゃんと跡部景吾だったので「全国も応援しに来いよ」だかの台詞に対して「まあ自分が観に行った日の役者のコンディションがたまたま、たまたま最悪だったら困るから2公演は観に行ってやるよピギャアアアアアアア(ビジュアルが一番好きな跡部なので安易に歓声を上げてしまう)」ということで東京と凱旋を1公演ずつ観て、凱旋公演では気を失いながらもラケットを突き立てて立ち上がる跡部景吾の姿に思わず涙腺が緩みましたが何故かテニモンにはなりませんでした。何故でしょうね。四天宝寺公演は思い出の地青年館を人質に取られてしまったので必死におけぴに張り付いて東京公演のチケットを1枚確保し、あれは金ちゃんが大好きな私としては結果として観に行ってよかった公演でしたがテニモンにはなりませんでした。大運動会は不動峰から立海までの他校が一堂に会する、今や声優の方ですら実現が難しいイベントなのでテニスの王子様愛する人間として死に物狂いでチケットを探して昼夜ともに参加しましたがテニモンにはなりませんでした。全国立海戦はたまたま目の前にチケットが転がってきたのでそれを買い足して3公演観に行って、幸村くんがテニスプレイヤーとして大好きな私は輝くテニスコートの上でただ一人泣きそうな表情の幸村くんを見つめては毎公演涙を流していたのですがそれでもテニモンにはなりませんでした。この頃の私は、あくまでも「テニスの王子様」が好きだからテニスの王子様のコンテンツとしてテニミュを楽しみに行っていたのであって、2ndシーズンは私にとって「テニミュ」である必要の無いコンテンツだったのかなと思います。だから2ndの円盤は一切買ってないです。わうわうは入会したけど。

~飛ばして大丈夫エリア終~

 


個人的に「テニモン」である指標のひとつとして、「連続して公演を観に行って(各公演ごとの回数は問わず)尚且つある程度連続して円盤も揃える」というのがあります。これは個人のテニモンとしての在り方にもよると思いますが(テニミュは生で観てこそ!円盤買うぐらいならその金で会場行くわという方もいらっしゃるでしょうし)、私がテニモンだった頃は好きな学校や推しの代などを問わず、自分が観に行った公演のDVDはすべて購入していました(ただし全国立海後編は受験で忙しくて予約を忘れてそのままDL7ショックに入ったため未所持)。公演を観に行って円盤も買ったけどそれは好きな学校だから他の公演は買ってないとか、公演を観に行って円盤もそこそこ揃えてるけど今回はどうしてもこの演出が許せないから買えないとか、「テニミュ」と直接的に関わる時にそこにテニミュよりも優先するポリシーがある人は、一見テニモンのようでもテニモンではないのかもしれません。でも身も蓋も無い結論を出してしまえば、本人が自分はテニモンだと言ったらテニモンだし自分はテニモンじゃないと思ったらテニモンじゃないということでいいんじゃないでしょうか。辞書にも載らないような言葉の定義なんて所詮そんなもんです。

今回私は山吹公演に、テニミュに関わってきた人生の中で一番の公演数を通い、脳裡にあれやこれやが焼き付いてるにも関わらず1st全国立海前編以来の円盤を予約しました。これは私にとって「テニミュそのもの」が楽しかったからです。山吹公演が、映像として手元に残しておきたいと思えるものだったからです。12月25日に初めて山吹公演を観た時の感動は、初めてテニスの王子様に出会った時の感動に近いものだったので(※ブログ参照)この時の私はまだテニモンではなかったと思います。でも自分の東京公演が終わって、何度か遠征を考えた時の「森田桐矢の千石清純の成長過程が見たい」というテニミュを観る人間ならではの発想に至った私はテニモンでしたし、「テニスの王子様」が好きだからという理由でテニミュを観に行くだけなら充分な数のチケットを既に手にしているのに、それでももっと山吹公演が観たい、キヨスミに会いたいと思っておけぴとツイッターの検索結果を徘徊する私の姿は、大量の複垢を使ってチケ取りに挑んでいた頃の私と対して変わりはなかったと思います。ちなみに現在の私はテニモンとしての私とテニスを愛する者としての私が鬩ぎ合っていて「もうこのまま氷帝公演とか来なくていいよ」という鬱病にかかっています。

 

最初の質問からは若干逸れてしまいますが、私はテニミュに於ける自分の好きなキャラやキャストに「○○、テニミュ、楽しいか?」と訊かれて「テニミュって……楽しいじゃん!!!!!」と心の底から答えられるならテニモンだと思います。私は森田キヨスミに「すーちゃん、テニミュ、楽しい?」と訊かれたら笑顔で「テニミュって……楽しいじゃん!!!!!!!!」と答えられますし、このやり取りをどうしても本名でやりたくてリア垢でツイートしたところ何故かふぁぼが付いて嬉しくなりました。テニミュって楽しいじゃん!