つぶやくにはながいこと

ブログ名変えました

逃げ(られ)ない人々

 

シン・ゴジラを見ました。ほんの些細な感想、過去に自分の身に起きたことと重ねた感想のようなものを書きたかったのですが、ツイッターでやるとネタバレになってしまうのでこちらに書きます。しかし映画本編に関してはあまり触れていません。

 

 

 

 

 

 

 

 



映画を見ていた時に、隣に座っていた母がこっそり耳打ちしてきました。「私だったら東京を離れるのに」。確かゴジラ(のようなもの)が一度東京湾へ還った後の、平和的なBGMとともに流れる、ごく普通の日常が一時的に返ってきた風景のシーンでした。映画を見終わって、家族で昼食を取っている時にももう一度母は「私だったらあんなのが東京湾から出てきた時点で東京から離れられる限り離れるけど、一度ゴジラが還った後もみんな(=一般市民)は逃げないんだね」と言ってきたので、私は「思い出してよ、311のときだってみんな東京を離れなかったでしょ」と返しました。

 

 

 

311が起こったその時、私は大学のサークルの合宿で岩井の海岸から200メートルの宿舎に居ました。外部の先生を招いての練習中だったこともあり、地震の度にドアや窓を開けたりしながらも私たちはのんびりと練習を続けていました。休憩時間に部屋に戻ってテレビを点けたところ、市原市のコンビナート火災の映像が流れていました。合宿という非日常の中に居たこともあり、その時の私(私たち)は事の重大さにあまり気が付いていなかったように思えます。その夜は停電もしましたが、宿舎の方が尽力してくださったお陰で大きな不自由に見舞われることもなく、翌日になっても電車が動かなかったためとりあえず予定通り打上げをしようと、近くのスーパーなどに買い出しに行ったりして、いつもの合宿と同じようにもう一晩を過ごしました。打上げの後片付けで疲れ果てて入浴もせず先輩たちと眠っていた私が起きたのは翌朝7時、携帯を見ると何十件もの着信履歴が。すべて母親からの電話でした。慌てて折り返すと「○○!何処に居るの!?何してるの!?もう電車も動いてるんだから早く帰ってきなさい!貴方だけじゃなくて他の子も電車が動いてるうちに帰りなさい!外房線なんていつ止まってもおかしくないんだから!他の親御さんだって心配しているでしょう!他の子が帰らないなら貴方だけでも帰ってきなさい!」と捲し立てられました。幹事長にその旨を伝えたところ「今すぐ帰ったところでどうしようもない子だっているからサークルとしては予定通り午後イチで帰る」と言われ、一足先に帰ることになった私はたまたま車で来ていたOBの先輩に近くの駅まで送ってもらいました。家に帰って早々母親から告げられたのは下関の親戚宅への避難、いわゆる「疎開」の命でした。「ここはホットスポットから遠くないし原発だってこれからどうなるか分からない、計画停電も始まって物資も手に入りづらくなるかもしれない、お父さんは仕事があるしお母さんも一緒に此処に残るけど、貴方たち(私と当時高校生の弟)だけでも逃げなさい」。結局私はサークルの仕事のために一週間で東京に帰らざるを得なくなったのですが、弟は始業式の前日まで下関に避難していました。母親としては私にも帰ってきてほしくなかったようですし、私が帰ってきた日(雨だった)の翌日に「昨日の雨が放射能物質を吸って落ちてきてたかもしれないんだって、せめて貴方が帰るのを一日でも遅らせればよかった」と漏らしていたのをとてもよく覚えています。

 

 

 

映画を見た母親は「あんな得体の知れないのがまだ東京湾周辺にいるかもしれないなんて怖くて東京で暮らせないよ」と言いました。311を振り返る時の母親も「だって放射能とか風向きによってはこっちに飛んできてたかもしれないんだよ、(子供を疎開までさせたのが)大袈裟だって言われるけどみんなあの時放射能とか怖くなかったのかな、私は本当に怖かった」と言います。私は今となってはこの話を半分笑い草として語っていますが、シン・ゴジラを見て「あ、」と思ってしまったのです。ゴジラ東京湾から現れて、少なくない被害を出しながらも一度海に還り、ああ災害は終わったのだと安心していつも通りに暮らしていた映画の中の東京都民は、311の時にとりあえず地震もひと段落したようだしと合宿先でのんびり打上げをしていた私だったのかもしれないと。電車が動き始めても「動いているうちに早く帰ろう」とはしなかった他の子や、そういう連絡をしなかった他の子の親たちなのかもしれないと。結局その合宿の時に予定より早く自宅へ帰ったのは、私と私に付き合わされた当時の彼氏だけでした。しかし幹事長が言った「今すぐ帰ったところでどうしようもない子だっている」というのも事実で、私にはたまたま避難できる場所や避難させてくれる人がいただけなのです。当時学生だった私はたまたま春休みで避難できる環境にあっただけなのです。日本の社会の機能が動いている限り社会人は休むことが(基本的には)できませんし、実際311の時も父と母は未曾有の大災害の後も東京に残る選択をするしかありませんでした。斯く言う私も、サークルの仕事のために結局一週間で東京へ帰ってきました。確かに私は一時的に避難したけれど、私だって「逃げられなかった」人間の一人なのです。


一度ゴジラが還った後に避難せず普通の日常を送る人々の姿を見て「何故逃げないのか」と思った人のうち、果たして何人が、本当に未曾有の大災害に襲われてそれが一度鎮静化した時に避難行動に移ることができるのだろうか。それはきっと映画の中と同じなのだろうなと、私は思います。中にはただの平和ボケで逃げない人もいるだろうけれど、「避難というのは、疎開というのは生活を捨てさせることだ」というような台詞が劇中にもあったとおり、私たちは生活を捨てられない。ほんとのほんとに死の間際にならないと、逃げられない。

テニモンでいられるという贅沢

 

11年前の今日、私は初めてテニミュを観に行った。

 

 

テニミュを観に行ってから個人的な10周年だった1年前、私はテニモンではなかった。1stシーズンの最期に立ち会えずテニモンを下りたまま2ndシーズンでもテニモンに戻れなかった私は、そのまま3rdシーズンに突入した。テニミュってお金かかるし、でもテニスの王子様が好きだからこのまま細々とテニミュを観続けて、もしかしたらそのうちやって来る氷帝公演でテニモンに戻ったり戻れなかったりするのかなあと、どの道3rdシーズンは最初から最後までテニス者として見届けるつもりではいた。

 

sdppp.hateblo.jp


それがこのザマである。クリスマスの夜にTDCの中心で号泣かましたテニス者はあれよあれよとチケットを増やし、遠征はしない主義だからと山吹チムライとドリライの東京横浜を全通し、挙げ句の果てには先日の縦断イベント福岡で初めて遠征した。遠征しないとは何だったのか。良席に喜んだりファンサに沸いたりうっかり映像に写り込んだり自宅で一人黙々とシャカリキファイトブンブンの全振り付けを覚えたり、今の私は完全にテニモンだ。

 

 

 

テニモンになってから色んな人と会った。出会ったと言うよりも「会った」と言う方が正しい。山吹公演はチケットが手元に1枚も無い状態で公演が始まったので、友達と観た最初の1公演目を除いて、チケットを譲渡してくださった方とご一緒させていただくことはあっても昔からのオタク友達やフォロワーと一緒に観に行くことはなかった。でも会場に行けばフォロワーがいた。一緒に食事をさせていただいたこともあった。皆が皆、テニスの(テニミュの)話をしていた。チムライも気が付けば4公演とも誰かしらと一緒に参加していて、ドリライも何公演かはフォロワーと一緒に観たり、公演前後にお話してもらったりした。楽しかった。公演自体もそうだけれど、他のオタクと大好きなテニスの王子様についてああだこうだと話せるのが楽しかった。

 

2次元寄りのオタクジャンルは多くの場合、自宅から出なくても活動ができる。テレビがあればアニメは見られるし、漫画だってこのご時世本屋まで出向かずとも通販すれば入手できる。他の人の感想や二次創作も、ネットにアクセスすればいくらでも転がっている。交流だってそうだ。ツイッターが流行っている今、他者との交流も(一長一短はあると思うが)呟くように手軽に楽しめる。身形を整えて化粧をする時間も、綺麗な字で文章を認める手間もかからない。しかしテニミュを観るためには自宅から出なければならない。公演終了から数ヶ月後に出る映像化されたものを自宅で楽しむ方法もあるが、生で観る迫力に勝る媒体は存在しない。テニミュを楽しむためには暑い中、寒い中、足元が悪い中、外に出なければならない。同じように外出しなければいけないものに、テニスの王子様ならテニプリフェスタ、他のジャンルでも声優を中心としたイベントなどがあるが、これらは精々数年に一度のお祭りごとだ。だからこそうんと激しく盛り上がれるのだけれど、そういうイベントに他のオタクと会って「交流する」機会や要素を求めようとしたならば、数年に一度では少ないように思える。

 

テニスの王子様にはテニミュがある。夏と冬の本公演に加えて、その間にはコンサート形式の興行などがある。チケ取りも含めれば、一年を通して「テニミュ」の何かしらがある。「ハレ」の行事がたくさんあって、会場に行けば他のテニモンやテニス者に会える。それ以外のところでわざわざ会うような関係までなれる人はそのうちのほんの数パーセントかもしれないけど、会場に行けばフォロワーが居て、私が居るのを知ったフォロワーが声をかけてくれたり、たまたま遭ってそのまま話してくれたりする。典型的インドアタイプのオタクの私にとって、部屋の外の世界に出させてくれるテニミュの存在はかなり大きいし、テニミュを観るタイプのテニスのオタクにとって、テニミュという形で他のオタクと会う機会を(他の一般的なオタクジャンルと比べて)頻繁に与えられているのは、この上ない贅沢だと思う。「書を捨てよ、町へ出よう」とは寺山修二の言葉だが、テニミュが私に教えてくれたのは「漫画を抱えよ町へ出よう」ということだった。

 

テニス者だからと言ってテニミュを観に行くとは限らないが、同じようにテニス者だからといって嗜んでいるとは限らないものに同人活動がある。テニミュと同じように夏と冬+αで即売会という名のイベントが開催される同人活動。しかし即売会は同じファンでも机の向こうとこちら側、作品を生み出す側とそれを享受する側にはっきりと分かれてしまう。テニミュは違う。そもそもテニミュ同人活動を同じ土台の上で比べること自体が間違っているのは百も承知だが(しかしテニミュを公式メディアによる一種の二次創作のようなものと例えるファンもいる)、テニミュの前ではみんなが等しく観客である。テニスの王子様の漫画を読むように、みんながテニスの王子様の舞台を享受する。テニスの王子様を観てあれがいいこれがよかった、この演出がどうだあの台詞の読み方がそうだと思い思いに話し合う。そんな機会を年に何度も与えてくれる「テニミュ」というコンテンツがあることは、テニスの王子様のオタクとして誇らしく思えるほどに素晴らしいし有り難い。他のオタクと交流する楽しさを教えてくれたテニミュにもう一度ハマることができた私は、今もこうして色んなオタクと交流している。テニモンじゃなかった頃にも会ってくれる人はいたけれど、テニモンになってからの方が圧倒的に多くのテニス者と会うことができている。テニス者としてテニミュを観に行けることは、テニモンでいられるということは途轍もない贅沢だ。

 

 

 

12年前に千石清純に連れられてテニスの王子様と出会った私が、紆余曲折を経て12年後も千石清純の姿を追い駆けていることを知ったら喜ぶだろうし、11年前にテニミュと出会った私が、11年後の夏も氷帝公演を観ていることを知ったらきっと大笑いするだろう。会場は青年館ではなくなってしまったけれど、私は今年の夏も総武線に乗ってテニミュを観に行っている。あの頃よりもうんと多くのテニスの王子様を愛する人たちと話したり遊んだりできている。去年のクリスマスからの7,8ヶ月を振り返ると、テニモンに戻れてよかったなあと心の底から思う。

 

テニミュが取ったラッキー千石コールへの救済措置

 過激原作原理主義テニモンの個人の感想です

 

 

DreamLive2016の大阪公演を観たフォロワーが、「『ラッキー千石』の時に山吹の子が後ろでコールしてるの何て言ってるんだろう、どうせなら私もコールしたい」という趣旨のことを呟いていた。横浜のみの参加の私も、その時点では詳細は分からなかったがキャラクターと一緒にコールしたい点はとても肯けたのでRTしたような記憶がある。横浜公演に参加して、あのツイートで言われていたのはこのことかと知ることになったが、何をコールしているのかは私も一発では聞き取れなかった。何故ならそれが行われるのは千石が歌っている最中だったからだ。同じようにドリライオリジナルで行われるコールでぱっと思い浮かぶものに木手ソロ曲『俺は殺し屋と呼ばれる男』の「俺らの部長は卑怯者!」などがあるが、これは木手がワンフレーズ歌い終わった後に比嘉の子がコールする形になっている。しかし今回のラッキー千石の「いいぞ!いいぞ!ラッキー千石!」は「♪ゲームに勝つためには」以降のフレーズに被せるようにしてコールしている。キャラクターが歌っている最中にわざわざコールする曲が、テニモンに返り咲いたばかりの私のうろな記憶では他には思い浮かばない。山吹の子が後ろでポンポン持ってラインダンスをしているだけでも充分可愛いのに、果たして曲を遮ってまで他のキャラクターにコールをさせる意味があったのだろうか。

 

 

ドリライ版ラッキー千石の曲中でキャラクターではなくキャストの名前が叫ばれるのは、初めて曲が披露された2ndシーズンから既にそうだった。その時のキャストの名前が「せいや」でキャラクター名の「せんごく」「きよすみ」より曲に合わせてコールしやすく、そして3rdのキャストの名前も響きのよく似た「とうや」であったがためにそのまま慣習として引き継がれたと考えるのが妥当なところだろう。テニモンに戻ってから、いずれ来たるドリライでほぼ確実に歌われるラッキー千石のことを考える度に、「せいや」コールならぬ「とうや」コールはまず覆らないだろうと覚悟はしていた。実際その方がうんと叫びやすいので私も叫ぶとしたらそちらの方がいいのかもしれないと、「私が推してもないキャストの名前をコールしたとしてもそれは彼が最高の千石キヨスミを見せてくれたことへの感謝の意味であって決して何も考えずに響きとかノリを重視してコールする訳じゃない……」と自分で自分を納得させようと何度も試みたが、結局私が会場でキャストの名前をコールすることは一度も無かった。テニスの王子様が好きだからテニミュを観に行く原作原理主義テニモンの私は、最後までテニスの王子様の名前である「キヨくーん!」コールで通したのだった。

 

今やひとえにテニミュファンと言っても、原作よりも若手俳優コンテンツとしての側面を重視するファンも少なくないだろう。それに若手俳優のファンの人はその役者本人を見に来ているのだから、度を越さない限りは*1 思う存分推しの名前をコールした方がきっと推しだって喜ぶ。原作はまったくもって知らないけど若手俳優推しているようなテニモンが、役の名前を已む無く叫ぶ姿というのもそれはそれで見たくはないので(私は何かを全力で愛する人間が好き)、そういう人にはどんどん適度な範囲で推しの名前をコールしてほしいと個人的には思っている。しかしラッキー千石でキャスト名をコールしている人の大多数が本当にそのキャストを「推している」訳ではなく、ただなんとなく響きの良さでキャストの名前をコールしているだけなのは明々白々だ。コールなんて個人の自由だけど、それでも「千石清純」が好きでドリライのあの場所に居た私は、千石清純が名前をコールされないあの場にいるのが辛かった。テニモンに戻ってからドリライまでの数ヶ月間、まあ「とうや」コールだろうなと相当な覚悟をしてきたにもかかわらず、一番思い入れのあるキャラクターの千石清純を目の前にして「とうや」コールの渦中に居るのは想像以上に辛かった。仕方のない現象だとは充分に理解しているし、ファンでもないのにキャスト名をコールした個人のことを批判する気はさらさらない。私だって普段から「キヨくん」呼びはしてないし、それを踏まえればどう考えたって「とうや」の方が叫びやすい。DreamLiveなんて結局は楽しんでなんぼだと思うし、色々考えるよりも頭空っぽにして叫びやすい方を叫んだ方が楽しいに決まってる。ただそれが、テニミュのステージに向かってキャラクターではなくキャストの名前がコールされるという現象が集団レベルで発生して、それが当たり前のこととして成り立っているから辛いのだ。誰が良いとか悪いとかではなく、たまたまその現象の対象となってしまった千石清純というキャラクターを好きな私が辛いだけの話なのだ。だから「俺の名前を呼べ」「俺の名前で呼ばしてやる」とキャラクターから歌われて、それに答えるように「裕太ー!」と思いのままに叫べる裕太ファンが心底羨ましかったし、私も思いのままにルドルフの子と一緒に裕太の名前を叫んだし、原作ファンとしてはあの瞬間が一番至福の時だったのかもしれないとすら思う。

 

 

 

ここでドリライ参加前に見つけた、ネルケの松田さんのインタビュー記事の存在を思い出した。

 

──お客さんはどんな人たちでしたか。
 初演当時は原作のファンが一人で来るパターンが多く、劇場に来たこともミュージカルを観たこともない人が多かったと思います。有名な役者は出ていないわけですから、役者のファンはいませんでした。そういう原作ファンが受け入れてくれたわけです。
 でも想像しないことも起きました。お客さんが舞台の見方を知らなくて、キャラクターのファンだから例えば手塚が出てくると「手塚!」と叫んだり、名前を書いたボードを振りかざしたり。好きなキャラクターのコスプレもしてくる。コスプレは気が散るとか、ボードで舞台が見えにくいとか、ミュージカルなんだから声をかけるなとか、ファン同士で論争になった。役者もやりづらいというので、ホームページを使ってルールを周知しました。
 コスプレ禁止、声かけ禁止、ボード禁止。静かに見ましょう、と。みんないいお客さんですから、約束を守ってくれたのですが、それを見ていたらなんだか可哀相になって。これも不健全だと感じたので、舞台に出演している役者たちによるコンサートを始めました。ミュージカルで言うガラコンサートです。舞台を春と冬にやるとしたら秋にコンサートを開く。この時は「手塚~」「リョーマ~」と叫んでいいので、思いの丈を伝えて発散してくださいと。

 

 

お客さんが彼らの名前を叫んでいい、思いの丈を伝えて発散していい場所、というのがドリライが生まれた理由にあると松田さんは仰っている。この記事を思い出しながらドリライ2016のラッキー千石のことを振り返ると、確かにキャスト名のコールが殆どであった瞬間もあった。しかしあの場で私たちはしっかり、会場が一体となって千石清純というキャラクターへのコールを行っていたのだ。いいぞ!いいぞ!ラッキー千石! 最初の頃こそ聞き取れなかったけど、聞き取ったテニモンやそれを知ったテニモンが会場でコールすることによって、ラッキー千石コールはドリライの中で着実に広まっていった。私だって山吹中2年女子の気持ちでアイドルのように一方的に慕っているキヨスミ先輩へのコールを全力で叫んでいた。あの瞬間パシフィコ横浜に居たのは、コールを貰うキャストの意識としてもコールを叫ぶ観客側の意識としても、あの瞬間ステージに立っていたのは間違いなく千石清純だった。――ということにドリライが終わって一週間経ったあたりで気が付いて、キヨスミを追い駆けているテニモンの私は少し、否かなり救われたのだ。実際に興行側があのコールに対してそこまで考えているかどうかは問題ではない。少なくとも一人のテニモンが、3rd初のドリライであのコールが与えられたことによって救われたし、キャスト名コールに対して頭を抱えている同じようなテニモンが、これに気付いて少しでも気持ちが晴れればそれでいいと私は思う。

 

 

 

*1:キャスト名の前に「超絶可愛い!」などのフレーズまでもを付けてコールするのは流石にルール違反というか、舞台のガラコンサートを観に来ている以上観客としての品位に欠けている行為だと思う

私が思うテニモンの定義

askに届いた質問にノリノリで答えていたところ余裕で字数制限に引っ掛かったので自分語りを含めた全文版をこちらに掲載します。

 

【質問】すどうさんはどういった定義でテニモンという言葉を使ってるんですか?

 

初めて届いた質問がこれだったのでかなり嬉しいです。ありがとうございます。

「テニモン」という言葉は元々テニミュ携帯サイトのテニミュ・モバイル(テニモ)が始動した頃に、当時の跡部役の久保田さんが「テニモン(テニモ会員)の皆さん」という使い方をしたのが始まりなんですが、それが現在の「テニミュのファン」という広義の意味で使われるようになるまでは割とあっという間だったと思います。ネットスラングとかもそうですよね。壁ドンという単語も本来は少女漫画のワンシーンあるあるではなく、隣室の住民が五月蝿い時に壁を殴って抗議するとかの本当に壁をドンと殴るという意味でしたし。このテニモンという言葉、当時友達と「テニモンの「モン」ってこれ実はモンスターの「モン」なんじゃね?くぼた上手いこと言うな~www」と笑いながら私たちは自ら進んで使っていきました。そういうテニモンも多かったんじゃないでしょうか。最近流行りの「沼」という単語といいオタクは自己卑下が大好きですからね。

 

閑話休題。私が思う「テニモン」の定義ですが、端的に表せば「テニミュのファン」であり、もう少し深く突っ込めば「テニミュそのもののファン」のことだと思ってこの単語を使ってます。テニスの王子様が好きでテニミュを観に行っているからと言ってもテニモンではない人だっているし、テニミュを観に行って円盤やグッズも買ってテニミュが大好きだけど原作やアニメの方はてんで知らないというテニモンオンリーの人だってきっと何処かにいらっしゃいます(後者は漫画アニメコンテンツよりも若手俳優2.5次元舞台が好きな方が多いのかな?このタイプのテニモンにあまり会ったことがないのでよく分からないです)。

実際に私が「テニモン」だった頃とテニモンじゃなかった頃、そして今テニモンに戻った時の話をしてみようと思いますがここはすっ飛ばしても大丈夫です。自分でこの記事を読み返した時にすっ飛ばしてみましたが普通に話通じたので本当に要らない自分語りです。

 


~飛ばして大丈夫エリア始~

私がテニミュに出会ったのは1stシーズンの関東氷帝戦夏、その前の5月頃に「テニミュっていうのがあって次が氷帝らしいからちょっと行ってみたいなあ」とブログに漏らしたのを、当時やり取りしていた3つ上の夢小説サイトの管理人のお姉さんが「よかったら一緒に観に行きませんか」と誘ってくれたのがきっかけでした。この頃の私の私生活の話はまたいつかしたいと思うのですが(するのかよ)、日々の生活に輝きや潤いがなかった私がテニミュにハマるのは至極当然のことでした。毎日公式HPに足を運び、座談会などのコンテンツが更新されるのを待ち、キャストのブログも全部学校別にブクマして寝る前に30分ぐらいかけてキャストのブログを回ってました。友人やオフ会で知り合った人たちにメルマガに登録してもらって(当時のテニミュの会員先行はメルマガ会員方式だったので)、大量の複垢を手にしてチケ取りに挑むその様は完全にテニモンでした。ただただ「テニミュ」が楽しかった。そんな私がテニモンでなくなってしまったのは、1st全国立海戦の頃がちょうど受験目前であまりテニミュに熱を上げられなかったのと、そこに止めを刺すように、大学入学後の部活の新入生お披露目会とDL7の日程が被ってしまい、あんなに私に色んなものを与えてくれたテニミュ1stの最期に立ち会えなかったショックから、私は持っているCDもDVDも、パンフレットやブロマイドも、果てはネット上にある動画の断片ですら一切触れることができなくなりました。軽いPTSDみたいなものです。この時にちゃんと整理しなかったブロマイドが未だに整理されていないので、一昨日手持ちのブロマイドをチェックした時に「この古川(4代目不二)いつのだよわかんねー!」ってなったからみんなブロマイドは買ったら次の公演が始まるまでにちゃんと整理した方がいいよ。私も3rd用のフォトアルバム買わなきゃ。

テニモンでなくなっても私はテニスの王子様が大好きなので、これまたmi○iで「2ndもそろそろ関東氷帝戦かあ行ってみたいけどチケット取ってないや(鼻ほじ)」と漏らしたところ、佐伯厨の子が「私○日行けなくなっちゃったからもしよかったらすーちゃん行かない!?私の友達と一緒に行くことになるけどそれでもよかったら!」と声をかけてくれたので有り難く譲ってもらうことにしました。PTSD発症して2年ぐらい経ったし、私がテニミュと出会った思い出の氷帝公演だし、テニモンであることが楽しいということを身をもって知っている私は、自分もそろそろテニモンに戻れるかなという期待を込めて、あまり慣れないTDCに向かいました。結果は散々でした。この日の跡部役と氷帝キャストの調子が最悪だったんです。キャラクターの解釈違いとかそういう問題ではなく、単純に舞台の上に立つ役者としてその日のコンディションが「たまたま」最悪だったんです。双眼鏡から覗く跡部の格好をした人はとても歯痒そうな表情をしていました。跡部景吾がベンチの上では見せないような歯痒い顔を。普段はきっとこんなんじゃない、というのがその日初めて2代目氷帝を目にした私でも分かるぐらいに最悪でした。同行者のお二人も「いつもはこんなんじゃないんだけどなあ……」と仰っていたので、ある程度テニミュに通っている人間なら誰が見ても最悪の公演だったのは間違いないです。たとえ普段はもっと良い跡部なんだろう、もっと良い氷帝なんだろうというのを頭では理解していても、目の前で私が見せられた跡部景吾氷帝レギュラー陣は散々なものでした。チケットも増やしませんでしたし、その後に開催された2nd初のドリライに行くこともありませんでした。私はこの日のアオキツネノリを始めとする2代目氷帝キャストをテニモンとして死ぬほど恨んでいます。あくまでもこの日の。実際この日にテニモンとしての私は二度目の死を迎えた訳ですから。「テニモンは一度テニモンになったらテニミュから離れられないんだよ」と言った佐伯厨の言葉を、テニミュが楽しいことを知っているのにテニモンに戻れなかった私がどんな思いで反芻したかなんて知りもしないでしょうし、キャストのコンディションが最悪だった所為でテニモンになれなかった観客というのが今後一切現われないように、キャストの皆さんには自身が出来る限りの万全の態勢で舞台に上がってほしいです。だからもりたとーやの女バレの下りであった3時間睡眠云々というのが女バレよりも何よりも許せないです。いや森田キヨスミは私をテニモンに戻してくれたというだけで充分すぎるほど最高なんですけどね。でも体力使うお仕事なんだしそれで安くない金取ってるんだから体調とかは万全にしないとダメだよ。

それでもテニスの王子様が大好きな私はまーた懲りずに全国氷帝戦の予習としてDL2013に行き、客席降りでたわ塚と2秒見つめ合ってしまったがために(これだけはいつもの妄言じゃなくて本当に目の前で見つめ合った)写真を買い、この日の跡部役はちゃんと跡部景吾だったので「全国も応援しに来いよ」だかの台詞に対して「まあ自分が観に行った日の役者のコンディションがたまたま、たまたま最悪だったら困るから2公演は観に行ってやるよピギャアアアアアアア(ビジュアルが一番好きな跡部なので安易に歓声を上げてしまう)」ということで東京と凱旋を1公演ずつ観て、凱旋公演では気を失いながらもラケットを突き立てて立ち上がる跡部景吾の姿に思わず涙腺が緩みましたが何故かテニモンにはなりませんでした。何故でしょうね。四天宝寺公演は思い出の地青年館を人質に取られてしまったので必死におけぴに張り付いて東京公演のチケットを1枚確保し、あれは金ちゃんが大好きな私としては結果として観に行ってよかった公演でしたがテニモンにはなりませんでした。大運動会は不動峰から立海までの他校が一堂に会する、今や声優の方ですら実現が難しいイベントなのでテニスの王子様愛する人間として死に物狂いでチケットを探して昼夜ともに参加しましたがテニモンにはなりませんでした。全国立海戦はたまたま目の前にチケットが転がってきたのでそれを買い足して3公演観に行って、幸村くんがテニスプレイヤーとして大好きな私は輝くテニスコートの上でただ一人泣きそうな表情の幸村くんを見つめては毎公演涙を流していたのですがそれでもテニモンにはなりませんでした。この頃の私は、あくまでも「テニスの王子様」が好きだからテニスの王子様のコンテンツとしてテニミュを楽しみに行っていたのであって、2ndシーズンは私にとって「テニミュ」である必要の無いコンテンツだったのかなと思います。だから2ndの円盤は一切買ってないです。わうわうは入会したけど。

~飛ばして大丈夫エリア終~

 


個人的に「テニモン」である指標のひとつとして、「連続して公演を観に行って(各公演ごとの回数は問わず)尚且つある程度連続して円盤も揃える」というのがあります。これは個人のテニモンとしての在り方にもよると思いますが(テニミュは生で観てこそ!円盤買うぐらいならその金で会場行くわという方もいらっしゃるでしょうし)、私がテニモンだった頃は好きな学校や推しの代などを問わず、自分が観に行った公演のDVDはすべて購入していました(ただし全国立海後編は受験で忙しくて予約を忘れてそのままDL7ショックに入ったため未所持)。公演を観に行って円盤も買ったけどそれは好きな学校だから他の公演は買ってないとか、公演を観に行って円盤もそこそこ揃えてるけど今回はどうしてもこの演出が許せないから買えないとか、「テニミュ」と直接的に関わる時にそこにテニミュよりも優先するポリシーがある人は、一見テニモンのようでもテニモンではないのかもしれません。でも身も蓋も無い結論を出してしまえば、本人が自分はテニモンだと言ったらテニモンだし自分はテニモンじゃないと思ったらテニモンじゃないということでいいんじゃないでしょうか。辞書にも載らないような言葉の定義なんて所詮そんなもんです。

今回私は山吹公演に、テニミュに関わってきた人生の中で一番の公演数を通い、脳裡にあれやこれやが焼き付いてるにも関わらず1st全国立海前編以来の円盤を予約しました。これは私にとって「テニミュそのもの」が楽しかったからです。山吹公演が、映像として手元に残しておきたいと思えるものだったからです。12月25日に初めて山吹公演を観た時の感動は、初めてテニスの王子様に出会った時の感動に近いものだったので(※ブログ参照)この時の私はまだテニモンではなかったと思います。でも自分の東京公演が終わって、何度か遠征を考えた時の「森田桐矢の千石清純の成長過程が見たい」というテニミュを観る人間ならではの発想に至った私はテニモンでしたし、「テニスの王子様」が好きだからという理由でテニミュを観に行くだけなら充分な数のチケットを既に手にしているのに、それでももっと山吹公演が観たい、キヨスミに会いたいと思っておけぴとツイッターの検索結果を徘徊する私の姿は、大量の複垢を使ってチケ取りに挑んでいた頃の私と対して変わりはなかったと思います。ちなみに現在の私はテニモンとしての私とテニスを愛する者としての私が鬩ぎ合っていて「もうこのまま氷帝公演とか来なくていいよ」という鬱病にかかっています。

 

最初の質問からは若干逸れてしまいますが、私はテニミュに於ける自分の好きなキャラやキャストに「○○、テニミュ、楽しいか?」と訊かれて「テニミュって……楽しいじゃん!!!!!」と心の底から答えられるならテニモンだと思います。私は森田キヨスミに「すーちゃん、テニミュ、楽しい?」と訊かれたら笑顔で「テニミュって……楽しいじゃん!!!!!!!!」と答えられますし、このやり取りをどうしても本名でやりたくてリア垢でツイートしたところ何故かふぁぼが付いて嬉しくなりました。テニミュって楽しいじゃん!

 

 

元テニモンの1st懐古厨ババアが3rd山吹公演を観て号泣した話

 

自分語りです

 


友達に「テニミュのアリーナ席のチケットがあるよ(チラッチラッ)」されたので、普段はクオリティの高さを求めて凱旋公演しか観なくなった私が久々に最初の開催地である東京公演を観に行くことにしたのは、12月25日の青学vs山吹公演だった。1stシーズンでテニモン(テニミュ厨)を降りてから暫くの間、斯く斯く然々でテニミュに関するものに一切触れられなくなった私も、2ndシーズンの終盤頃からは「テニスの王子様」を愛する者の嗜みのひとつとして、各興行1公演はテニミュを観に行くようになっていた。逆を言えばテニミュに対しては各興行1公演観られればまあいいか、というぐらいの温い感情しかなかったし、その1公演というのも大体が2バル辺りの適度に見やすい席を定価より安い値段でゲットして、当日も時々双眼鏡を構えつつ全体を観たらパンフレットとその日良かったキャストの写真を1人か2人買って帰るという、テニミュに熱狂するあまり親に借金したりバイト代を全額注ぎ込んだりしていた頃の自分に比べると随分と湿気た楽しみ方になっていた。山吹公演についても「氷帝の前にウォーミングアップしておくか」ぐらいの気持ちしか持っていなかった。

テニミュを観始めたのがThe Imperial Matchの夏からで、2ndも初めて観たのが関東氷帝戦だった私にとって、不動峰戦と聖ルドルフ戦と山吹戦を観るのは3rdが初めてだった。つまり私がこの目で「千石清純」が歌って踊って試合をするところを観るのも、これが初めてだった。

 

今の私を知る人は全員、皆さんご存知跡部様もしくは仮面ライダー2013の極悪非道戦極凌馬のことを好きな私しか知らないと思うけど、そんな私がテニスの王子様にハマったきっかけは同じゴクアクなセンゴクでもオレンジ頭の千石清純のせいだった。鳥海某が演じていた別のキャラを好きだった私はそこから千石清純のことを知り、その時丁度アニプリがアニオリのジュニア選抜編を放映していたのでそのままどぼん、という経緯がある。アニメを見たら原作の漫画も読みたくなるのがオタクの性。しかし当時リアル中学生だった私には既に刊行されている27巻もの漫画を買える財力がある筈も無く、母親の「こんな人気作品なら図書館に置いてあるでしょ」というアドバイスを元に地元の図書館で1巻から順に借りていくことにした。

千石清純の試合まで辿り着くのは早いように見えて遠かった。私がこうして図書館の予約待ちをしている間にもWJでは毎週リアルタイムのように立海戦が進行している。早くそこまで辿り着きたかったし、その前に早くキヨの試合が観たかった。わくわくしながら読み進めては次の巻を予約して、また読み進めてはすぐに次の巻を予約した。根っからの脇役厨なので途中で出てきた観月さんや赤也に新たな萌えを見い出しつつも(天パ萌えという訳ではない)、やっと登場した千石清純。中学生の私は漫画の中のキヨと同じように鼻の下を伸ばしたり、恋する乙女のように目を輝かせたりしながら読んだ。色んな人の手垢で黄ばんだ単行本を何度も読み返した。キヨが途中で試合用のラケットに換える見開きのページは、自分の本じゃないのに開き癖が付くぐらいに見つめた。今までのテニス者としての人生で一番読み返したのは間違い無く「何かを好きになったばかり」の情熱を持っていた頃に読んだこの試合だし、一度読んだ話をあまり読み返すことがなくなってしまった今の私にとってそれはこれからも絶対に変わらない(少し悲しいけど)。アニメから入った私がそこまで熱を上げるほど、原作のキヨはとってもカッコよかったし、そこで原作を読んで違和感を覚えていたなら今の私はきっとテニスの王子様に留まっていなかった。(アニメの)千石清純に手を引かれてテニスの王子様の世界に来た私を、そのままこの世界に留まろうと思わせてくれたのもまた(原作の)千石清純だった。

 

 

 

 

 

その死ぬほど読み返した試合が、目の前で始まろうとしていた。
広がるテニスコートの上に、桃ちゃん先輩と、ラケットを持った千石清純が立っている。

 

テニミュの千石清純」を観るのは決して初めてではなかった。でもそれは1stにしても2ndにしてもドリライや運動会というテニミュならではの千石清純の姿であって、一番最初に熱狂して読んだ試合の、テニスの王子様に登場する中学生テニスプレイヤーとしての千石清純を観るのはこれが初めてだった。

「しかし亜久津にオイシーとこ全部持ってかれたからなぁ」

舞台上の彼が台詞を発した瞬間、思わず息を飲んだ。
私この試合知ってる、事前に漫画を読み返す時間は取れなかったけどテニスの王子様を好きになって一番最初に夢中になった試合だから今でも分かる、

「せっかくクジ引きでキミ達に勝ってシングルス3取ったのに」

動かないモノクロの漫画のコマじゃない、コマの向こうのフルカラーのホンモノが目に耳に脳に飛び込んでくる。すごい、私が大好きだったキヨはこんな風に動いてこんな風に喋ってこんな風にラケットを握って、今これからキヨが目の前でテニスの試合を始めるんだ、

「残念、越前君じゃないんだよね」

私が初めて好きになったテニスの王子様が、今から目の前で試合をする。本物のユニフォームを着て、本物のラケットを握って。何度も読み返した話が、舞台の上で現実の試合と同じように繰り広げられる。今これから。そう思った瞬間視界が水中のようにぼやけた。どう考えても泣くようなシーンでもなければ泣くような試合でもないし泣くような公演でもないので、涙が零れないように必死で唇を噛んで堪えながら、それでも駄目な時は目元をハンカチでそっと押さえた。私が感極まっている間にもキヨはラケットを振って、スマッシュを決めて、面白そうにテニスをしている。中学生当時の私に見せてあげたかったと同時に、10年以上前に初めてテニミュを観た時の気持ちを思い出した。跡部さんが、氷帝の面々が実体を持って動いている、試合をしている、すごい。今の私はそれに加えて、初めて夢中になった試合を生で観ることへの興奮もあった。キヨの試合の前の1幕を観た段階で、今回の公演をとても面白いと思えた私は既にチケットを買い足す決意をしていたが、それはあくまでも「嗜みのひとつ」の範疇を出ないレベルの、もう一度凱旋公演は観ておかないと、程度のものでしかなかった。キヨの試合をもっと観たい。コマの向こうの、漫画のコマを飛び出したキヨをもっと観たい。今まで私たち読者からは見えなかった、コートの外の彼をもっと観たい。気持ちは完全に、10年前に初めてテニミュを観た時の私だった。あの時は金銭面や年齢や親の制約があったけど、今の私は時間とお金の許す限り飛び出せる。帰って速攻おけぴで東京公演のチケットを探して翌日も観に行った。東京楽は流石に許斐先生ライブのことも見越して諦めた。凱旋のチケットもとりあえず1枚は譲ってもらえそうだ。しかしこのままあと1公演しか観られないなんて耐えられない。当然チケットは買い足す予定だ。許斐先生のライブやもっと他の楽しい予定がなかったら、初めての遠征だって決め込んでたかもしれない。舞台の上で試合をする私の最初のテニスの王子様は、私をテニミュの世界にもう一度引き摺り込むのに充分過ぎるほど、輝いていた。公演後にここまでの話を友達にしながら、もう一度大泣きした。自宅で母親にここまでの話を説明して更に声を上げて泣いた。いくら自身もオタクでそういった趣味に理解のある母親ですらドン引きする勢いで泣いた。それぐらい目の前で千石清純の試合を観られたのが、兎に角嬉しかった。

 

どうやら私の他にもテニミュ3rdの千石清純に夢中になっている人が多いらしいが、きっと私が彼に夢中になっている理由は「初めて観た感動」によるものが大きい。言ってしまえばインプリンティングのようなものだ。恐らく他の人は、普通に或いはテニモンとしてテニミュを観て、過去のキャストや原作、アニメなどと比較しながらここがイイそこがイイと言っているのだと思う。個人的には、そうやってある意味冷静に(実際のところは冷静どころか新しいセンゴクキヨスミの登場に大興奮だと思うけれども)観られる人が羨ましい。それこそ私は本当に刷り込み効果だけで目の前のキヨに興奮している可能性だってある。仮にそうだったとしても、再びこうして云年前までと同じようにテニミュに夢中になれそうな私を掘り起こしてくれた3rdの千石清純には、感謝しかない。やっぱりテニスの王子様は紙の中でも舞台の上でも、私たちをありとあらゆる楽しいことと出会わせてくれる王子様に違いないのだ。